春菜の実家は農家だった
いつもの息苦しい夕食を終えて顔を上げると、孝輔が冷たい視線をこちらに向けているのが分かった。
「春菜、話がある」
その声色に、春菜の心臓が跳ねた。孝輔の声には、いつもの冷淡さに加え、何か決定的なものが含まれているようだった。春菜は皿を片付けながら、平静を装って夫の顔を見る。
「どうしたの?」
「今夜の料理、ひどかったよ」
その一言は、春菜の身体を硬直させた。まるで突然頭から氷水をぶちまけられたかのようだった。何度も試行錯誤して、メモを見ながら時間をかけて作った料理。それを全否定された瞬間、春菜の喉は締め付けられるような感覚に包まれた。
「……そ、そんなことないでしょ? だしもちゃんと効かせたし、野菜だって細かく刻んだ。孝輔が好きな味付けにしたつもりだったんだけど……」
声が震えながらも、春菜は必死に言い訳を並べた。しかし、孝輔は春菜の言葉をまるで聞いていないかのように、冷たく笑った。
「前にも言ったよね? 君の料理は食べる気がしないんだ。この1年、少しでも君の料理が上達するように助言してきたけど、これ以上はもう無駄だと判断したよ」
孝輔から淡々と語られる言葉は春菜の心を引き裂くようだった。何も言い返せない春菜に向かって、孝輔はさらに続けた。
「今後はキッチンに立たなくていい。家事代行サービスを頼んだから、料理はすべて彼らに任せる。それなら君も無駄な労力を使わなくて済むだろう」
「え……でも私、料理をするのは割と好きだし、知らない人が家に来るのはちょっと……」
やっと絞り出した言葉も、支配者である孝輔の前ではあまりにもろかった。
「好きかどうかは関係ない。大事なのは結果だよ。君は僕の期待に応えられなかった。それだけの話だ」
「でも......」
思わず口を開いたが、その後は続かなかった。唇をかみしめる春菜に孝輔の言葉は容赦なく降り注いだ。
「毎度君の実家から送られてくる野菜も邪魔だ。見た目も味も悪いし、田舎臭くて食べられたもんじゃない。今回届いた分は僕が処分しておいたから、今すぐ実家に電話して、2度と送ってこないよう伝えてくれ」
その言葉は、春菜の心をこれでもかと打ちのめした。春菜の実家は農家だ。毎月実家から送られてくる野菜は、両親が丹精込めて育てたもの。だが孝輔は、それを「処分しておいた」と簡単に言ってのけたのだ。彼が春菜の気持ちや実家を軽く見ている何よりの証拠だ。言い返さなければと思った。しかし開いた口は震え、言おうと思った言葉は喉の奥のほうでほどけてしまった。
「……分かった」
春菜は蚊の鳴くような声でつぶやくと、震える手でスマートフォンを取り出し、実家の固定電話を呼び出した。
●結婚してから姿を現した夫の「本当の顔」。春菜はDV夫から逃れることができるのだろうか……? 後編【「両親になんて伝えたら…」実家から送られた野菜を勝手に処分する“完璧主義のモラ夫”を黙らせた「まさかの訪問者」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。