弘子は玄関の鍵を閉め、バッグを車のトランクへと押し込んだ。

「忘れ物ない?」

遅れて取った冬休みは、たったの3日しかない。

年末年始に夫・琢也の実家へ帰省できなかったのは、自分の仕事のせいだ。

これから待ち受ける長距離ドライブを思うと気が塞いだが、義両親に対する負い目が、今さら行かないという選択肢を奪っていた。

「さあ……とりあえず玄関にあったのは全部運んだ」

「ならオーケー」

琢也がトランクを閉める音が、朝の空気に響いた。

「俺、先運転するわ」

「わかった。サービスエリアで交代ね。ほら俊、早く乗って」

小学4年生の息子・俊は後部座席に体を滑り込ませるなり、携帯ゲーム機を起動した。軽快な電子音が車内に弾ける。

冬の帰省に向けて出発

「酔わない? 途中で気持ち悪くなったら困るよ」

「平気」

「あと、音は消して」

振り返って言うと、俊は画面から目を離さず、音量を一段階下げた。相変わらず音はうるさかったが、弘子はそれ以上何も言わなかった。出発前から機嫌を損ねると、道中が大変だ。

運転席に乗り込んだ琢也が、エンジンをかける前にちらりとこちらを見る。

「結局、買わなかったんでしょ。スタッドレス」

「高いからね」

弘子は頷きながら、頭の奥にしまっていた数字を引きずり出す。

スタッドレスタイヤの見積もりは、工賃込みで十数万円。チェーンも1万円前後。首都圏で暮らしていれば、出番は年に1度あるかどうかだ。そのコスパの悪さが、自分の判断を正当化していた。

「天気、平気なの? 先週降ってたらしいじゃん、あっち側」

「大丈夫。予報では、週明けまで晴れだって」

琢也は「そっか」と短く返し、それ以上は踏み込まなかった。

やがて車が走り出す。市街地の路面は乾いていて、タイヤは素直に転がる。信号待ちの間、弘子のスマートフォンに仕事の通知が並んだ。休みを取ったはずなのに、意識の一部がまだ職場に残っているようだ。

うんざりして画面を伏せると、後ろから俊の興奮した声が聞こえた。ゲームの中で何かがうまくいったのだろう。

「パパ、これ見て。やばいよ」

「んー?」

琢也が振り返る前に、弘子が口を挟んだ。

「パパは運転中だから見れないよ。よそ見したら危ない」

「えー」

「えーじゃない。運転してる人の邪魔しちゃダメっていつも言ってるでしょ」

琢也は「あとでな」とだけ答え、視線を前に据えたままだ。

注意もしないし、叱りもしない。息子を叱るのは弘子の役目。それが、この家のいつもの姿だった。

「順調だな。いつもはもっと渋滞してるのに」

「だね。今回は半端な時期だからかな」

高速の入口が近づく。

弘子はカーナビの到着時刻を確認し、すぐに目を戻した。

このペースなら、午後には義実家に着くだろう。そうシミュレーションしながら、道路を走る車の揺れに身を任せた。