倫太郎を寝かしつけ終えて春佳は足音を立てないようにリビングに戻った。リビングでは夫の俊介が晩酌を始めていたので、春佳も冷蔵庫からビールを持ってきてお酒を飲み始める。他愛のない話をぽつぽつとしながら、やがて春佳は言おうと思っていた受験の話を俊介に持ちかけた。

「倫太郎をさ、私立に入れようと思うんだけどどうかな?」

春佳の問いに少し顔を赤らめていた俊介は口をへの字にする。

「私立? なんでそんなことをするんだよ?」

「だって友達のママさんたちが受験するって言っててね」

「別に他人の真似をする必要なんてないだろ。だいたい、私立なんて学費が高いだけムダだよ。うちはうちらしくやっていけばいいんだよ」

俊介は面倒くさそうに反論した。

息子の私立受験を提案する春佳

結婚して5年が経つが、これまであまり意見がぶつかることはなかった。春佳としては背中を押してほしい気持ちで聞いたのだが反対されたことに驚きを覚えていた。

「真似してるわけじゃないよ。倫太郎のことを考えたら今のうちから私立って選択肢もありだと思うの。将来のことを考えたら、小さいうちから高いレベルの教育環境のある学校できちんと勉強した方がいいと思うから……」

「そもそも大学に行きたいかも分からないだろ。今のうちから倫太郎の将来を限定するようなことはするべきじゃないって。公立でのびのびとやるのが一番いいだろ」

「別に私立でものびのび成長することはできるわよ」

「知ったような口を聞くなよ。春佳だって受験なんてしたわけじゃないだろ?」

「それはあなただって同じでしょ……⁉」

「……とにかく受験はナシだ。俺たちの収入じゃ小学校から私立なんて分不相応にもほどがある。春佳が周りの意見に流されるのは勝手だけど、それに倫太郎を巻き込むようなことをするなよ、みっともない」

「そんなんじゃないわよ……! 私なりに倫太郎のことを考えて出した結論よ……!」

俊介から否定され続け、みっともないとまで言われたことに腹が立ち、春佳の語気は思わず強まった。ようやく眠った倫太郎が起きてしまうかもしれないなんてこと、考えることはできなかった。

「むしろ倫太郎のことを何も考えてないのはそっちでしょ……⁉ 学費が高い? 倫太郎のために使わないなら、何のためのお金なの? それでも父親?」

「は? どういう意味だよそれ!」

「だってそうでしょう? みっともないのはどっちよ!」

「俺は高い金を払う意味があるのかって言ったんだ……! 話くらいちゃんと聞けよ……!」

「聞いてないのはそっちでしょ……⁉」

春佳がさらに文句を言おうとすると俊介は勢いよく立ち上がる。

「もういい。話にならない。俺はもう寝るから。ったく気分悪いよ」

それだけ言い捨てて、俊介はリビングから出て行った。俊介の背中を追いかけるように睨みつけると、リビングの入口には案の定起きてしまった倫太郎が立っていて、春佳と目が合うや大声をあげて泣き出すのだった。