兄がコロナに

2021年1月初旬。30歳で結婚していた南田さんの兄がコロナになり入院。60歳の兄は1歳下の妻と25歳の一人娘と暮らしていた。

「当時、患者の家族は院内に入ることすらできませんでした。まだタブレット面会もなく、兄は妻とLINEしていました」

1月下旬、兄死亡。

「入院前、コロナの診断を診療所で受けた時、すでに肺は真っ白、酷い肺炎になっていました。この頃のコロナは肺の奥まで入り込むため、致死率が高かったのです」

母親は、この時から昔のアルバムを見て過ごすように。料理から始まり、掃除も洗濯もできなくなると、家事は全て父親がやるようになった。

9月。母親は、若い頃から慕っていた脳神経外科医の病院に通い始めた。10月には介護認定を受け、要介護1。デイサービスに通い始める。

2022年に入る頃には、ガスコンロの火のつけっ放しや水の出しっ放しがあり、コンロはIHに替え、水道には人感センサーをつけた。

「2022年の1年間が、最も母の破壊行為や暴力行為が激しかった頃だと思います」

母親は日に日に暴君化していった。

暴君化する母親

2022年1月。母親は常にイライラし、カッとなると父親の顔や体を殴り足を蹴るため、父親は全身あざが絶えなくなった。

「15年ほど前に父が母の身内のことを悪く言ったのがきっかけで、母は父のことが大嫌いになり、『離婚する!死んでやる!』と騒いでいました。それでも一緒に散歩や旅行に行っていましたが、認知症になってから『女がいる!女が迎えに来る!』と言い出し、父への憎悪を爆発させるようになったのです。認知症って、その人の本質が顕著になるのかもしれませんね……」

要支援1の父親は、週1回女性ドライバーの車でデイサービスに通っていた。南田さんは事情を話し、男性ドライバーに代わってもらった。

ある時は父親の外履き用のサンダルが切り刻まれていた。またあるときは父親の茶碗が割られていた。南田さんの1番目の娘が初任給で両親に買ったマグカップが割られていた時は、南田さんは母親を責めずにはいられなかった。

かかりつけの脳神経外科医に相談すると、「認知症に詳しい精神科に変わった方がいい」と言われ、2023年1月、南田さんは「老年精神科」と標榜している病院に母親を連れて行った。

すると医師は、

「鬱の頃から元気になる薬を飲み続けて、そのまま元気が過剰に体に蓄積し、暴力的になっているかもしれません」

と言い、薬を変更。

すると1カ月経つ頃には母親はかなり落ち着いてきて、時々カッとなる時は頓服薬で対応できるようになった。

ところが、今度は眠りすぎるようになってしまう。

ケアマネージャーから施設を勧められたが、父親は「まだ頑張れる」と言って拒んだ。
「父が頑張るせいで、私の負担はひどいものになっていました。父は介護疲れのため、午前中は立ちあがることができなくなっていたので、母の介護と母が汚したものの洗濯は、私一人で全てやっていたのです……」

父親は、「病気のせいなんだから」「かわいそうに……」と言い、まだ時々暴力的になる母親の攻撃や口撃を喰らい続けていた。デイサービスのスタッフたちも、「よく耐えていらっしゃいますよね。普通だったら怒って施設に入れちゃいますよ」と感心していた。

「父の老人ホームのイメージは、姥捨て山的な感じで、『入れたら余計に病んでしまう』と思っていたのです。『そんなところじゃないよ』と言い聞かせても、信じてもらえませんでした…」

しかし翌月のこと。父親は突然右目が見えなくなり、救急搬送された。

●円満な家庭が母親の認知症によって一変。そして、父親の救急搬送で、母親の介護は大きな転換期を迎えます。後編【「100歳まで生きれば7200万円」介護のリアルな数字に呆然とする父娘が相続対策のために遺言書に記した文言とは?】にて、詳細をお届けします。