妻と子との別れを経験した父親

東北地方在住の下島麻鈴さん(仮名・50代)の父親は、26歳のとき、同年齢の女性と結婚し、翌年男児に恵まれたが、女性は病死。男児は女性の親族に引き取られた。

「腹違いの兄とは一度も会ったことがなく、父も音信不通だそうです。和菓子職人を目指していた父はとても貧しく、自分の母親を亡くしていたため、兄を手放してしまったことをずっと悔いていました」

父親は30歳で和菓子職人になるのを諦め、知人の紹介で市役所に勤め始めた。同じ年、10歳下の女性と見合い結婚し、翌年下島さんが生まれた。

「父の前妻は綺麗な人だったらしく、死別という事実が母には重く感じられ、ずっと自分は“二番手”だと引け目を感じていたようです」

下島さんが物心ついた時、両親の仲は良くなかった。

「もしかしたら母は、発達障害や軽度の知的障害があったのかもしれません。両親は会話が噛み合わず、もともと短気な父はいつも母を怒鳴っていました。母は自分を守るために嘘をついて誤魔化すところがあり、『お前はどうしてそんな嘘をつくんだ』と言って泣いている父の姿を幾度も見ました。今のように情報やサポートもない時代ですので、理解に苦しみ続けていたのかもしれません。父は30歳のときに心身症とうつ病と診断されて何度か入院しており、母も職場でいじめの対象にされ、うつ病を発症して何度か入院しています」

母親がうつ病を発症したのは、結婚後に引け目を感じていたことや職場のいじめ。父親が心身症とうつ病と診断されたのは、最初の妻との死別と、子どもを手放してしまったこと、そして菓子職人の仕事が上手く行っていなかったことが大きな要因と思われる。

下島さん自身も、クラスメイトや教師、親族たちと上手くコミュニケーションがとれず、いつも一人でいた。「太っていて身だしなみにも無頓着だった」せいか、クラスメイトのみならず担任の教師からも容姿や勉強ができないことを揶揄されて不登校になった。

「父は公務員でしたが決して裕福ではなく、母も働いて家計を助けることで精一杯だったため、子育てまで手が回らなかったのだと思います。躾られたという記憶もなく、身だしなみを整えるということも知りませんでした」

初めて友だちの家に遊びに行ったとき、友だちの親から、「他所の家に上がったら、『こんにちは、お邪魔します』と言うんだよ」と教えられたという。

父親の不倫

下島さんは小学校4年生の夏、父親に連れられて海水浴に行った。浜辺に着くと、父親の同僚だという女性とその息子がおり、4人で遊んだ。女性の息子は下島さんより1〜2歳上で、下島さんの父親に懐いている様子はなかった。

帰宅すると下島さんは、「どっかのオバちゃんと子どもと海に行った」と仕事から帰ってきた母親に報告。

その時の母親の表情を見た瞬間、「言ってはいけないことだったんだ」と激しく後悔した。その後、その女性から「旦那さんと別れて!」という電話がかかってくるようになり、母親はいつも困惑していた。

子どもの頃から下島さんは、両親の夫婦喧嘩を何度も目の当たりにしてきた。中でも強烈に脳裏にこびりついているのは、父親の足にすがりつき、「捨てないで〜!」と泣いている母親の姿だった。母親は常に父親の顔色を窺っていた。