子はかすがい

下島さんは高校2年生になった。修学旅行に京都へ行く数日前、父親から1万円札を渡され、「飾り物でも買って来てやって」と頼まれた。1万円札は不倫相手からの餞別だった。

旅行中下島さんは、長年不倫を続けている父親への怒りが抑えられなくなり、人形やこけし、五重塔や金閣寺などの置物、陶器の湯呑など、わざと嵩張るものを買い込んだ。

修学旅行から帰ってくると、多くの親は駅まで迎えに来ていたが、下島さんの親は来ていない。1万円分のお土産で荷物が重いうえ、迎えにも来てくれていない父親に対し、さらに怒りが増した。

下島さんは家に入るなり、父親の前にお土産をぶちまけると、「女と別れるか母さんと別れるか、決めるまで帰らない!」と言って家を飛び出し、友だちの家に駆け込んだ。

「『アンタの愛人のためにこんな重い荷物を持ち歩いていたのに、迎えにも来ないなんて!』と腹が立ちました。でもすぐに父から電話があり、『俺が悪かった。相手とは別れたから』と言って、迎えに来てくれました」

この日を境に父親は帰宅が早くなり、家にいることが多くなった。

「多分、父にとっては母よりも、娘である私の存在が大きかったのだと思います。そしてそれは、前妻との子を手放したからではないかと想像しています」

突然の介護

下島さんは29歳で10歳年上の男性と結婚。しかし7年後に離婚した。

「元夫は、私の体調が悪いと不機嫌になり、話し合おうとしてもフテ寝してしまいました。意見の相違があった時に話し合えないことは、『一生添い遂げる相手ではない』と思う大きな要因になりました」

それから3年後、下島さんは機械関係の仕事をする2歳上の男性と出会い、交際に発展。その頃、長年膝関節が湾曲する病気を患っていた父親は、主治医から人工関節手術を勧められていた。

「人工関節には耐用年数があり、若い年代ですると、のちに再手術をしなければならないそうです。そのため父は、ある程度の年齢になるまで手術を待っていました」

60歳で定年退職すると、自宅で家事をしたり、覚えたてのパソコンでインターネットをして過ごす。しかしいよいよ膝が悪くなってきたため、2011年に77歳で左膝、2012年に右膝の手術を受けることになった。

ところが、父親は右膝の手術後、全身麻酔から覚めた瞬間からせん妄が激しく、勝手にベッドから降りてしまうなど危険な行動が続き、日中は誰かがつきっきりで見張っていなければならなくなる。

当時、ちょうど勤めていた飲食店が閉店することになり、無職になった下島さんは、1週間ほど父親に付き添っていたが、1日だけ母親に交代してもらうことに。当時68歳の母親は、55歳で病院の看護助手の仕事を退職した後、仲間と旅行やカラオケやパークゴルフをしたり、庭で野菜や花を育てて過ごしていた。

下島さんが自宅で休んでいたところ、突然看護師から「お母さんが倒れたので来てください!」という電話を受ける。

急いで駆けつけると、横たわった母親が処置を受けながら検査室に運ばれる所だった。医師からは、父親の付き添いの合間に、昼ごはんのために売店で購入した稲荷寿司を喉に詰まらせたと聞かされる。

幸い母親は一命をとりとめ、そのまま入院に。一方で父親の不穏な状態は続いており、精神科受診を勧められ、半ば強制的に退院することに。

「本来は2ヶ月ほど入院し、足のリハビリを受けてからの退院になるはずですが、厄介払いするかのような対応に怒りが湧きました。錯乱している父を連れて帰ることへの病院側のフォローもなく、途方に暮れました……」

父親は何とか歩けたため、下島さんと交際中の男性とで家に連れて帰ることができた。

しかし10日後、追い打ちをかけるように、「次の入院患者が待っているから」と、母親も退院することに。

錯乱状態が続く父親を一人家に置いては行けない。このときも交際中の男性に助けを求め、父親も連れて3人で母親を迎えに行った。

いきなり両親2人の介護が始まり、46歳の下島さんは大混乱に陥った。

●突然、両親の介護をしなければならなくなった下島さんは、次から次にトラブルに見舞われます。後編【両親の貯金1000万円では足りず持ち出しも…介護に追われる40代女性を待ち構える「老後破綻」の理不尽】にて、詳細をお届けします。