<前編のあらすじ>
「女の子はお嫁に行くから学歴は必要ない」。男尊女卑の父親、長男ばかりをかわいがる母親に育てられた森山吹子さん(仮名・40代)。高校卒業後、森山さんは大手化粧品メーカーの美容部員になった。
きらびやかな世界とは裏腹にノルマが達成できなければ自腹を切らされる。金づる扱いされていた彼氏からも振られ、身も心もボロボロになって22歳で退職し、残ったのは230万円の借金だけだった。
しかし、父親の紹介で建築関係の会社に再就職したのをきっかけに、夫と出会い結婚。2人の子どもにも恵まれたが、夫の地方勤務のため知り合いもおらず孤独な生活は続く。ようやく地元に戻れたものの、今度は高齢の義両親との同居が始まる。
●前編:【「一体、いくらあるの?」ストレスで買い物依存になった美容部員が家族への“借金バレ”に安堵したワケ】
再借金地獄
古い義実家を2世帯住宅に建て替えた住宅ローンと、義両親の生活費、自分たちの生活費と、地元に戻るまでの2年間の賃貸住宅の家賃、そして想定外の次男の出産があり、森山家の家計は火の車となっていた。
そして同居から2年目。ついに貯金が底をつく。
義両親との同居もうまくいっていなかった。小学校1年生と2歳になったばかりの息子たちに対して、義父は「うるさい!」と怒鳴り、ひどいときは長男を差別語で罵る。
長男は小学校2年生のとき、次男は3歳のときにADHD(注意欠如・多動性障害)とASD(自閉スペクトラム症)の診断がおり、発達外来、市の相談室、療育、放課後等デイサービスなどに通っている。
「地元に戻ってきたとは言え、友だちは散り散りになっており、ママ友もいません。この頃の夫は子どもたちの障害への理解も薄く、仕事や飲み会や旅行、趣味の車を優先し、ほとんどワンオペ育児でした。私が高熱を出そうが、嘔吐してトイレから出られなくなろうが、『〇時間目の授業が終わるまで耐えて!』と放置されたことは数えきれません」
トラックの運転手をしていた義父は、60歳で脳梗塞を起こし、左半身麻痺になったが、介護サービスの一切を拒否。着替えや食事、トイレや入浴の世話はすべて義母がやっていた。もしかしたら、身体が不自由になった苛立ちを、元気に遊び回る孫たちにぶつけていたのかもしれない。
だとしても、嫁である森山さんにとって、義父は大きなストレス源だった。自分より身体が大きい義父を1人で介護する義母を放ってはおけず、おのずと義母のサポートを務めることとなる。義母は55歳のときに食道がんで食道と胃をつなげる手術をしているうえ、72歳の頃から狭心症を患っていたため無理はできない。しかし義母から感謝はない。気付けば森山さんは、大好きなブランドの服を買うことで、ストレスを解消するようになっていた。
「服を買うときは高揚感に包まれ、その一瞬だけ、幸福感に満たされます。でも帰宅すると、罪悪感に苛まれて……。夫にバレないように隠したり、タグ付きのままオークションへ出したこともありました。生活費も足りないのに、『欲しい!』と思ったら、寝ても覚めても欲しくてたまらないのです。支払いはカードでして、先延ばし先延ばしにしていました」
やがて、限度額10万円のA社のカードキャッシングだけでは足りず、B社を申し込む。
同居から2年目の夏、借金は合計80万円に。それを思い切って打ち明けると、夫は森山さんを責めず、収入と支出のバランスを見て、やりくりは難しかったと納得してくれた。
借金は、長男の学資保険を解約して返済。この年からボーナスは夫が管理し、子どもたちの教育費はボーナスから貯めることにした。