遼さんの支援は寄与分が認められるわけではない

遺留分は受けられないにせよ、遼さんには寄与分によって相続財産を請求するだけの理由があるように思える。寄与分とは亡くなった方の財産の維持増加に努めた相続人に多めに財産を相続させる制度だ。

例えば、長年親の介護をしてきた子とそうでない子が相続人間に存在した場合、介護をしてきた子においては介護をしてこなかった子よりも多めに財産が相続できるというものだ。

遼さんは崇さんに代わって時にはお金を出し、時には身の回りの世話をしてきた。一般的に叔父から甥(おい)に対してここまでするケースは多くないだろう。まさに遼さんの行為は特別な寄与と言えるのかもしれない。

ただ、この寄与分について今回相続人とならない遼さんには認められない。寄与分はあくまでも相続人に認められるべきものであるからだ。

情報化に伴い相続は複雑化している

その後吉岡さんは私からの説明をもとに遼さんと話をしたようだ。結果としては、法律の定め通り、遼さんは遺留分も寄与分も認められないことに納得され、吉岡さんは無事財産を相続することができた。

情報社会であり多くの人がさまざまな情報に触れられることになった昨今、相続問題も複雑化している。少し前なら「ほんとにこんなことあるの?」と思えたような相続問題でも今や身近で起きるようになっている。相続問題においてその原因の一端を担っているのが今回紹介した遺留分や寄与分の存在でもある。

遺留分や寄与分はテレビや新聞、雑誌などのメディアではあたかも親族なら誰でも相続をできる可能性があったり、相続財産が増える可能性があるなどある意味では過大にうたわれていたりすることも珍しくはない。

情報化社会となっている今だからこそ、問題となりやすいだろう相続のルールについては改めて学んでおきたいところだ。

※プライバシー保護のため、内容を一部脚色しています。
※登場人物はすべて仮名です。