毒家族との別離

宗教を盲信していた義母は、社会から孤立していた。行田さんが知る限りでは、義父は夫が中学生、義弟と義妹が小学生の頃に行方をくらまし、以降はすでに成人していた義兄が一家の大黒柱として家計を支えてきたらしい。

行田さんいわく、義母のみならず、夫も義きょうだいたちも皆常識知らずで、年金や保険のことを知らなかっただけでなく、最初の頃は夫も、他人に何かをしてもらってもお礼もせず、食事のマナーも最悪だったという。

夫は行田さんと出会ったことで、徐々に社会性を身に着けていった。最初の頃は認められなかったものの、ゆっくりだが自分の母親やきょうだいたちの異常性に向き合い始め、現在は距離を置いている。

義実家と同じマンションで暮らし始めてしまった行田さんは、義母や義きょうだいからの異常なほど執拗な宗教勧誘を避けるため、何度も引っ越しを繰り返した。だがその度に居場所を突き止められ、突然訪問された。子どもが2人生まれてからは、「子どものいない信者夫婦に養子に出せ」と迫られ、一度は保育園から連れ去られたこともあった。

自身だけでなく、子どもへの危険を感じた行田さんは、34歳の時に夫に離婚を切り出す。夫は拒んだが、1人につき6万円の養育費を支払うと約束して離婚に応じた。

しかし行田さんは、離婚後も義家族に隠れて元夫と連絡を取り合い、子どもたちと一緒に過ごす時間をもうけるよう努めた。

そして離婚から4年後、小学校2年生になった長男が、父親がいないことで同級生からからかわれていた事実を黙っていたことが判明。これがきっかけで2人は再婚を決めた。

社会人になってから食事付きの寮生活をしていた夫は、手元に1〜2万円ほど残し、残りの給料をすべて義母に送っていたという。おそらくそれが息子として正しいことだと教えられていたのだろう。義母は宗教依存、夫と義母は共依存状態だったのだと想像する。そして依存体質である夫と結婚した行田さんも、夫と一緒にいるうちに夫と共依存関係に陥っていたのだろう。いくらでも夫を見限るタイミングはあったが、それでも不思議なほど別れられなかったのは、共依存関係に陥っていたと考えれば腑に落ちる。

現在の行田さんは、完全に義母や義きょうだいたちを恐れなくなったわけではない。だが、夫が義母や義きょうだいたちと物理的にも精神的にも距離を置いてくれてからは、家族4人で穏やかに暮らすことができている。機能不全家庭で毒親に育てられた夫にとって、原家族の異常さを目の当たりにしながら、少しずつ行田さんとの生活にシフトしていく過程が、時間はかかったが、そのまま解毒につながったのかもしれない。