こむぎを囲む家族の時間
玄関を開けると、部屋の灯りがついていた。靴が揃えられ、リビングの床には毛布が広げられている。直哉が立ち上がり、祐子の腕の中のこむぎを見て、短く息を吐いた。
「帰ってきたか。……メール、さっき読んだよ。こむぎ、少しは落ち着いたか?」
「うん。今は大丈夫。ちょっと眠そうだけど」
祐子は抱えた体をそっと毛布へ下ろす。こむぎは目を細め、舌を一度だけ出して引っ込めた。久実が水皿を持ち上げる。
「お水、替えてくる」
直哉はキッチンに駆け込んだ久実の手元を見た。
「手、震えてるぞ。落ち着け」
「落ち着けないよ……」
そう返す久実の声は掠れ、目は赤く充血している。
祐子は台所のカウンターに透明袋を置いた。中身は今回の元凶となった小さな消しゴム。直哉の視線が袋で止まり、眉が動く。
「それ、久実のか?」
久実の視線が吸い寄せられ、喉が鳴った。
「……私の」
沈黙が落ちる。
「私、こむぎのこと……全然面倒見れてなかった。散歩も、片付けも、あとでって……私が飼いたいって頼んだのに、ごめんなさい」
久実は袖で涙を拭い、こむぎの背にそっと触れた。
「これからは、かわいがるだけじゃなくて、ちゃんと世話もする。あと、片付けも。床にこむぎが飲み込みそうな物は置かない」
「うん、頼んだよ」
祐子は久実の頭を撫でた。こむぎは久実の腕のなかで小さく丸まり、やがて規則正しい寝息が聞こえ始めた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
