娘・静香に打ち明けた愛子

静香が椅子に腰を下ろし、パンフレットをテーブルに置く。表紙の「社会人・シニア向けプログラム」の文字が、2人の間に小さな溝のように横たわっている。

「これ、どういうこと?」

問いかけは静かだったが、やけに重い。愛子はソファの背もたれにそっと手を添えた。

「どういうことって……そのままよ。ちょっと、勉強してみようかと思って」

「勉強って、大学で?」

「ええ。映像のことを、少しね。ほら、ここ、生涯学習とかシニアとか書いてあるでしょう」

パンフレットの一節を指さす自分の声が、妙に丁寧なのに気づく。説明すればするほど、話が本物になっていく気がして、胸の奥がざわついた。

「シニア入試って……これ、正規の学生になるやつじゃない。学費もかかるし」

静香は学費の欄で指を止め、眉間にしわを寄せる。

「ねえ、お母さん。本気?」

真正面から向けられた視線に、愛子は思わず目をそらした。

冗談だと言えば、すべて丸く収まる。「ちょっと考えてみただけ」と笑ってしまえば、パンフレットもカメラも、ただの道具に戻る。

「……本気よ」

しかし、口が先に動いた。声に出した途端、その言葉が自分に跳ね返ってくる。静香の顔が、さらに険しくなった。

「何言ってるの、お母さん。だって――」

静香が言いかけたとき、廊下から孫の声が飛び込んできた。

「おばあちゃーん! 来てー!」

「はいはーい。今行くわね」

立ち上がった拍子にパンフレットのページが、テーブルの上でふわりとめくれる。玄関へ向かう足音の後ろで、静香の視線だけが、いつまでもパンフレットの上に留まっていた。

●若いころに諦めた映画制作を夢見て、71歳の愛子は大学入試挑戦を決意する。しかし娘の静香は、学費や健康面での不安から強く反対。2人の溝は深まるばかりだった…… 後編【「お母さんに何かあったら…」人生最後のわがままと大学進学を決めた71歳母に娘が突きつけた“現実的な不安”】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。