館内の灯りがゆっくりと点き始めても、愛子はしばらく席を立たなかった。スクリーンの隅を流れる白い文字を目で追わずにはいられない。

「あの雨のシーン、黒澤みたいだったわね」

誰にともなく心の中でつぶやく。若いころから何度も観た名作が、さっきの新作の断片と重なっていく。やがてエンドロールが流れ終わると、愛子はゆっくりと立ち上がり、歩き出した。

「よいしょ」

ロビーに出ると、甘いポップコーンの匂いと派手なポスターが迎えてくれる。

壁にはアクション映画や恋愛映画、アニメ映画。どれも色がまぶしい。

愛子はコートの襟を直しながら出口へ向かい、掲示板の前で足を止めた。端に重ねて留めてある、とある私立大学のチラシが目に入った。

「芸術学部 映画制作チーム 自主制作映画上映会」

白いコピー用紙に、学生らしいレイアウト。カメラを構える若い男の子と、モニターをのぞき込む女の子。その周りに、小さな文字が並んでいる。映像文化学科。学生スタッフ募集中。脚本、撮影、編集、音響――どれも、昔懐かしい単語だ。

「映画制作……」

口の中で繰り返した瞬間、別の景色がよみがえった。

よみがえる苦い記憶

まだ10代の自分。場末の喫茶店で、古びた求人欄を食い入るように見ていたこと。「映画制作スタッフ アルバイト募集」の文字を見つけて、胸が跳ねたこと。勇気を振り絞って電話をかけるたび、受話器の向こうから聞こえるのは面倒そうな男の声。

「ええと、学生の方? あー、女の人はね、ちょっと……現場はきついから。分かるでしょ?」

面接の日程も案内されないまま、会話は終わった。受話器を置いたあと、しばらく動けずにいた自分の手の震えまで、ありありと思い出す。

あれから何十年も経っているのに、胸の奥が、同じ場所を突かれたみたいに痛む。

愛子は掲示板に顔を近づけ、チラシの端を指で押さえた。今の子たちは、女でもカメラを担ぐのだろうか。「体力がないから」「女には無理だから」と言っていた、あの男たちは時代と共に淘汰されたのだろうか。

「恥ずかしいわね、71にもなって思い出すなんて」

小さく笑ってみせるが、チラシを1枚そっとはがす手は止められなかった。財布の入った小さなショルダーバッグの隙間にチラシを差し込み、外に出ると、夕方の冷たい風が頬を撫でた。街のネオンが滲んで見えるのは、年のせいか、さっきの映画の余韻のせいか。愛子はコートのポケットに両手を突っ込み、ゆっくり歩き出した。

バッグの中で、さっき折りたたんだばかりの紙が、かさりと音を立てた気がした。