止められない好奇心
夜、愛子は湯呑みを流しに置き、居間のソファに腰を掛けた。
ローテーブルの端には、いつもの「映画ノート」がある。若いころから、観た日付やタイトル、印象に残った場面を書きためてきたノートだ。
今日の日付とタイトルを書き、エンドロールの感想を2行ほど記す。
「雨の使い方が黒澤の初期作品を思わせる。人物の立ち位置も……」
そこでペンが止まった。バッグの中で、あのチラシがじっと存在を主張している。
「……気になるなら、先に見ればいいのに」
自分に言いながらバッグを引き寄せ、二つ折りの紙を取り出して広げる。カメラを構える学生たちの写真。端には小さく大学名と「映像文化学科」の文字が印字してある。食い入るように見ている自分に気づき、愛子は苦笑する。
「やっぱり、気になってるじゃないの」
立ち上がり、テレビ台の隣のノートパソコンの蓋を開ける。夫の介護のときに何度も使ったおかげで、検索ツールだけは使えるようになった。ほどなく大学のホームページを開くと、こんな文言が目に飛び込んできた。
「生涯学習講座 社会人・シニア向けプログラムのご案内」
「……シニア」
指示に従いクリックすると、「シニア特別聴講」「シニア入試」といった言葉が並ぶ。年齢制限や出願資格を読みながら、まるで無重力状態のような気分になる。画面の端に、小さなボタンがあった。
「資料請求はこちら」
カーソルをそこまで動かし、愛子は一度深呼吸した。いったん興味を持つと、引き返すのが下手なことは、自分がいちばんよく知っている。夫の介護のときも、やれることは片っ端から調べ尽くしたのだ。
「資料くらい、ね」
数日後、ポストに届いた白い封筒を開けると、パンフレットとシニア入試の案内が机の上に広がった。教室の写真、「映画制作実習」のページ。三脚に据えられたカメラと、それを囲む学生たち。欄外には「推奨機材:デジタルビデオカメラ」とある。
「まあ、それはそうよね」
愛子はその日のうちに駅前の家電量販店に向かった。
壁一面に並んだカメラの前でしばらく立ち尽くし、「軽くて扱いやすいものを」と店員に頼む。説明の半分も分からないまま、手に馴染む1台を選んだ。
翌日、ゲートボールの練習にカメラを持っていく。「なによそれ、撮影?」「やだ、シワまで映っちゃうわよ」と友人たちは笑ったが、「練習よ、練習」とレンズを向けると、案外うれしそうにポーズを取った。ファインダーの中で、見慣れた仲間たちが少し違って見える。
白い球の軌道、打つ瞬間の息の詰め方、笑うときの目尻のしわ。録画ボタンを押す指先が、かすかに震えた。それは新しい機械のせいだけではない。自分の中の、まだ形を持たない何かに、そっと触れてしまったような気がしたからだ。
