老人ホームが一番だと思う
静子はできるだけ自然に問いかけたが、父は「うん」と短く答えたきり、視線をテレビに戻した。タレントの空々しい笑い声だけが部屋に響く。気まずい空気を破るように、浩平が声をかけてきた。
「静子、少し話せるか」
「うん」
台所に移動して浩平が淹れてくれたインスタントコーヒーを飲みながら、静子たちはテーブルを挟んで向かい合った。リビングの父は、いつの間にか、うとうとと舟をこいでいる。
「……これから、どうするか考えてみたんだ」
浩平が、そっとマグカップを置いて言った。
お互い会社員として仕事をしている身。毎日実家に顔を出すことは、現実的に難しいだろう。かといって、老いた父をこのままにしておくのも心配だ。
「私は、老人ホームに入るのが1番だと思うけど」
できるだけ柔らかく伝えたつもりだった。この家で1人でいるのは無理だろうし、施設なら安全に暮らせる。それが、父のためにもいいと思ったのだ。ところが、間髪入れず隣の部屋から鋭い声が飛んできた。
「俺は、どこにも行かんぞ。ここで死ぬんだ」
振り返るまでもなく父だった。ついさっきまでうとうとしていたくせに、こんな話題だけは聞き逃さないらしい。
「……地獄耳ね」
静子が思わず小さくつぶやいた言葉に、浩平が苦笑いする。