3作目が大ヒットも……
小説家になった菜々子は1年半に1冊くらいのペースで本を出した。3作目の『紅く燃える海を渡って』はSNSでバズり、本屋大賞にノミネートされたりして話題になった。つまり、よく売れた。
たくさんの取材を受けたし、たくさんの人に褒められた。「次回作の構想は?」とたくさんの人に迫られた。期待していると鋭いまなざしを向けられた。
「みんなが菜々子の書く作品を待ってるんだな」
夫は誇らしげだった。菜々子は頑張ろうと思った。
だがその矢先、夫が脳梗塞で倒れた。まるで坂道を猛スピードで転がり落ちていくボールのように、夫は菜々子を置いてこの世を去った。
そして、菜々子は小説を書くことができなくなった。
書評やエッセイ、帯コメントなどは問題なく書けた。でも小説だけが書けなかった。1文字も、ワンシーンも、思いつかなかった。ノートPCの前に座って文章作成ソフトを立ち上げると、頭のなかが絡まったコードのようになってしまい、どんな些細な意味すらも見つけられなくなった。
小説を書けなくなってから、もう4年が経とうとしている。もともと速筆ではなかったとはいえ、書かない小説家を小説家と呼べるのかは怪しいだろう。インターネットで名前を調べれば、〈長谷菜々子はもうオワコン〉というコメントがいくらでも出てくる。だが、もともと夫と過ごした日々を思い起こすついでの小説だったのだから、オワコンでもいいと思った。
ただ、夫とは違い、ゆっくり少しずつ、ごつごつした岩が雨風に少しずつ削られながら砂になっていくようにしか潰えていかない自分のあり方だけが恨めしかった。