金の延べ棒、その使い道は
単身用の1DKのマンションのテーブルには、生まれて初めて手にするような大金が置いてある。満子はひと晩考えたあと、その現実感の伴わないお金は父からの贈り物だということにして使ってしまうことに決めた。
テーブルに並ぶ料理は、どれも美しく盛り付けられていた。シャンデリアの柔らかな光が、グラスに注がれたシャンパンを優雅に照らしている。
満子はフォークを手に取り、前菜のカルパッチョを口に運んだ。新鮮な魚の甘みとともに高揚感が広がった。
最初のうちは贅沢をすることに、少し罪悪感があった。しかし「もともとなかったお金だから」と考えれば、一気に気持ちが軽くなった。それに、これまで真面目に慎ましく暮らしてきたのだから、これくらいのボーナスタイムがあったっていいだろう。そう自分を納得させた。
平日は素知らぬ顔で働き、週末になると銀座へ出かける。派遣の給料は1人で生活する分ならまだしも、贅沢ができるほど高くはないので、銀座を訪れたのはずいぶんと久しぶりだった。
これまでは雑誌で眺めるだけだったブランドのお店に足を踏み入れる。丁寧に接客されながら手に取るバッグは、どれも高級感があり、革の手触りが心地よかった。
「こちらの新作はとても人気がございますよ」
店員の言葉に、満子は迷わず頷いた。
「じゃあ、これください」
「ありがとうございます。とてもお似合いですよ」
約30万円の一括支払い。
今までの満子なら、「給料の何カ月分だろう」と考えて諦めていただろう。だが、今は違う。お金だけが人を幸福にしてくれるとは思わないが、こうやってお金によって得たものが与えてくれる満足感は格別だった。レジに並ぶときも、心が弾むような感覚があった。
翌週には、Instagramで新作が出たと投稿していた表参道の高級ジュエリーショップにも足を運んだ。
派遣社員として働いていると、普段はアクセサリーもシンプルで安価なものばかり選んでしまう。しかし、満子の懐には金塊で得た大金がある。
「ご自身への贈り物に是非」
そう店員に背中を押され、80万円近いダイヤモンドのネックレスを購入した。鏡に映る自分が、いつもより華やかに見えた。
そんなお金の巡りは仕事のほうにも影響するのか、満子は派遣先の上司に呼び出された。
「丸山さん、正社員になる気はない?」
もう50代の自分にそんな声がかかるなんて夢にも思っていなかった満子は驚いていた。気持ちに余裕があると、自然と仕事の質も上がるのかもしれない。
贅沢は人の心を豊かにする。満子はまさにそれを肌で実感していた。お金の心配をせずに好きなものを買い、美味しいものを食べる。そんな日々が、満子の人生を良いほうへと運んでくれていた。
「お父さん、お母さん、ありがとう」
両親に感謝しながら、満子は突然訪れた贅沢な毎日を思う存分楽しんだ。
●だが、満子はすっかり忘れていることがあった。税務手続きである。相続財産とみなされるかもしれない金の延べ棒をいわば使い込んでしまった形になった満子を待っていたものとは。後編:【税務署から“未申告の財産があります” 実家から出てきた金塊で優雅な暮らしのはずが、アラフィフ女性が直面した「落とし穴」】にて詳細をお届けする。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。