小暮敦子さん(仮名)は食品関係の卸売会社の人事部で契約社員として働いています。就職氷河期世代の小暮さんは、新卒の時50社以上を受験して1つも内定が取れず、やむなく人材派遣会社に登録した経緯がありました。ですから、10年ほど前、派遣先の今の会社から「契約社員になってほしい」と声をかけられた時は涙が出るほどうれしかったそうです。
しかし、10年経ってもあまり報酬は上がらず、この4月に入社した3人の新入社員と手取り収入は同レベル。もやもやした気持ちを抱えて臨んだ新人研修で、小暮さんはある新入社員とトラブルになってしまいます。挙げ句、その新入社員が退職したことで“犯人扱い”までされてしまうのです。
「自分もできるならすぐに退職したいけれど、生活があるから辞められない。恵まれた今の新入社員世代がうらやましい」と嘆く小暮さんに、きっかけになったこの4月の出来事について聞きました。
〈小暮敦子さんプロフィール〉
千葉県在住
48歳
女性
契約社員
パートの母と2人暮らし
金融資産350万円(世帯)
50社以上受けても内定ゼロ…氷河期世代の就活の厳しさ
私はいわゆる氷河期世代です。
バブル崩壊後の長期にわたる日本経済の低迷期、多くの企業は事業の存続に精一杯で新卒を雇う余裕などありませんでした。そうした時代の犠牲になったのが私たちの世代と言われます。
確かに、就活は大変でした。私は今で言うならBランク程度の私立大学の文学部の出身です。当時は大学の就職課にめぼしい求人があろうものなら、たちまち希望者が殺到しました。有利なのは理工学部や経済学部の学生で、私のような文学部、しかも女子学生は後回しにされました。
就活が厳しいのは重々承知していたので、学生時代から得意の英語を活かして企業の営業アシスタント的なアルバイトをしてきました。その頃は今のようにインターンシップが定着していなかったのです。それでも、バイトで爪痕を残せば正社員として採用してもらえるのではないかという淡い期待もありました。
しかし、同世代には帰国子女もそれなりにいて、私のように独学で英語検定準1級を取得した程度では、とても太刀打ちできませんでした。
案の定、就活でもいろいろな業種の事務職を受けまくりましたが、内定は1つも取れませんでした。履歴書を送った企業の数は50社以上に上っていました。
やむを得ず派遣会社に登録し、派遣社員として社会人生活をスタートしました。当時は私のように就活に失敗して派遣社員になった女性がたくさんいました。