イルミネーションの飾りを強引に引きはがそうと…

それからというもの、健一は毎日センターに現れては同じクレームを繰り返した。

職員たちは次第にいら立ちを隠せなくなり、有海自身も次第に対応に疲れを覚え始めていた。

ついに上司からは、健一のクレームを無視するよう指示された。

「馬場さん、あの人に関わってもきりがない。どうせ毎回同じことの繰り返しだ。きっと構ってほしいだけなんだ。時間の無駄だよ。次からはある程度話を聞いたら、適当にあしらって構わない」

「わかりました……」

有海は静かにうなずいた。確かに、一切聞く耳を持たない健一とのやり取りは不毛なのかもしれない。それでも、有海は彼の叫び声が耳に届くたび、胸の奥に重いものが沈む感覚があった。

事件が起きたのは、ある夕方のこと。

他の職員たちとともに残業をしていた有海は、ふと外で物音がするのに気付いた。不審に思って窓からのぞくと、健一がイルミネーションの飾りを強引に引きはがそうとしているのが見えた。

「塚田さん! 何をしているんですか!」

慌てて外に駆けつけた有海は、大声で叫んだ。健一は驚いたように振り返ったが、すぐに怒りの表情に変わった。

「こんなくだらない飾り、全部壊してやるんだ! 税金をこんなものに使うのは間違ってる!」

「子どもたちが楽しみにしているんです! やめてください!」

そのとき、わずかに健一の力が弱まり、どこか遠くを見つめるような顔になった。彼の瞳には、怒りだけではない別の感情が揺らめいているように見えた。

「子どもたちが……?」

「ええ、そうですよ。センターの前を通るたびに、イルミネーションはいつ光るのかって聞いてくる子もいるくらいです。近所の幼稚園や小学校からも、たくさんの子どもたちがイベントに参加してくれると聞いています。ですから、もうこんなことは……」

「ええい! うるさい! 俺に説教するんじゃない!」

しばらく口をつぐんでいた健一だったが、やがて何かを振り払うように再び暴れ出した。

「誰が楽しみにしていようと知ったことか! こんなバカげたことは今すぐやめさせてやる!」

節くれだった手で電飾コードを引っ張る健一の姿はどこか痛々しく、有海の胸は締め付けられるようだった。

間もなく、健一は駆けつけた男性職員たちの手によって引き離された。念のためイルミネーションを点検してみたところ、幸いどこにも傷はついていなかった。電飾コードが断線防止の仕様になっていたためだろう。

「ふう……良かったぁ……」

「なに……何が良かった、だ……! この…… いまいましい電球め! 次は、ニッパーを持ってきてやるからな……!」

有海が思わず安堵のため息を漏らすと、健一は職員に羽交い絞めにされながらほえた。息を切らしているところを見ると、ちょっとしたもみ合いが老体に堪えているらしい。

「塚田さん……今後こういったことが続きますと、私たちとしても警察に通報するしかなくなります。どうか、お引き取りください。お願いします……」

真っすぐに目を見て静かにそう告げると、健一は不服そうな顔をしながらもつえをついて帰っていった。

いくらクレーマー扱いされていても、さすがに警察沙汰になることは避けたいらしい。なんとかその場を収めることには成功したが、有海の心は重いままだった。健一の言葉や行動には、ただの迷惑行為とは思えない必死さがあるように思えたからだ。彼が異常なまでにイルミネーションの点灯を阻止しようとしているのには、何か深い事情があるのではないか。

「塚田さん、昔はあんなふうじゃなかったのになぁ……」

そのとき、ぼそっとつぶやいたのは、いつの間にか様子を見に来ていたセンター長だった。

「昔なにかあったんでしょうか?」

「ああ、うん、俺が若いころだったけど、塚田さん、よく息子さんを迎えにセンターに来ててね。あんなことがなけりゃ……」

「あんなこと?」

有海は思わず聞き返したが、センター長はそれ以上話す気はないようだった。

「やめとこう。人の過去なんて知っても、ろくなことはないよ」

そう言って中へ戻っていくセンター長の背中は、ひどく寂しげに見えた。

●健一には悲しい過去があった。イルミネーションを嫌悪する理由とは……? 後編「ご子息を火災で亡くして…」クレーマー独居老人がクリスマスの電飾を憎む「41年前の悲劇」】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。