あなたは正しいと言ってあげられる親でありたい

火事から数か月後。保険会社やマンションの管理組合との話し合いや手続きを一通り終え、美花たちは徐々に日常を取り戻していた。

火事自体はテナントの店主のいち早い通報も功を奏し、店部分が燃えるだけで被害が抑えられたこともあり、マンションのエントランス付近に改修工事が入っているくらいで美花たちの生活にほとんど影響はなかった。

「どうぞ、お入りください」

久しぶりに訪れた小学校で、廊下に並べられた椅子に葵とともに座っているとクラス担任が廊下に出てきてにっこりとほほ笑んだ。

担任は、美花よりひと回りほど年上の女性教員で、葵がクラスメートともめるたびに、トラブルが悪化しないよう立ち回ってくれている。美花と葵にとっては、頭の上がらない、ありがたい存在だった。

教室の真ん中に寄せられた机の島で、葵と並んで担任と向かい合う。担任は生徒たちの情報が詰まっているであろうファイルを開きながら、普段の授業態度のことや成績のこと、委員会の仕事を頑張っていることなどを話してくれた。

「ご家庭のほうで気になることなどはありますか?」

「その、この子、真面目なんですが、融通が利かないところがあると思うんです。それで、先生にもご迷惑をかけてますし……」

美花は歯切れ悪く口を開く。葵はきっと居心地悪い顔をしているだろうと思うと、隣を見ることはできなかった。

「そうですね。でも正義感と責任感が強いところは、葵さんの長所だと思いますよ」

「でも、ですね……」

「実はね、前にこんなことがあったんです。お母さん」

担任はもったいぶるような、少し大げさな調子でそう言うと、先月やっていたという避難訓練の話を始めた。

「正直、避難訓練なんて4年生にもなると、みんなちっとも真面目にやってくれないんですよ。でも葵さんは誰よりも熱心に取り組んでくれて……その様子がとても印象的だったんです。避難経路を何度も確認して、持参した小さなノートに自分でメモしていたんですよ。訓練の際も、葵さんが周りの子たちに一生懸命呼びかけてくれて……最初は騒いでた子たちも、だんだん葵さんのことを見習ってくれているようでした」

「そうだったんですか」

美花はようやく娘の横顔を見ることができた。葵は居心地悪そうに顔をしかめて、「だってちゃんと訓練しないと困るでしょ」と言った。

火事の夜、美花たちが正しいルートを通って素早く避難できたのは、葵の真面目な性格のたまものだったのだろう。

「正義感が強いので、お友達とぶつかってしまうこともありますけど、葵さんは立派ですよ。だからそんなに心配なさらないでください」

「ありがとうございます」

三者面談は無事に終わり、美花たちは帰路に着いた。

ずいぶんと日が沈むのが早くなり、17時過ぎだというのに外は薄暗く、肌寒い。

「なに?」

隣を歩く葵の顔を見ていたら、葵が眉をひそめて顔を上げた。

「ううん。何でもない」

美花は答えた。

正しいばかりで世の中は動かない。だけどそれは大人の論理なのだろう。葵はきっとその正義感と責任感ゆえに、これから色んな壁にあたるはずだ。悔しい思いをして、打ちのめされることもあるだろう。

そんなとき、「あなたは正しい」と言ってあげられる親でありたいと、美花は思った。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。