家族ごっこを終わらせてやる
しかしそれから2週間がたって、兄からまた電話がかかってきた。
「父さんが、ぎっくり腰になったんだ」
「へえ、そうなんだ」
開口一番、深刻そうに言った康之に明里は生返事を返した。スマホの向こう側で、康之が髪をかいているのが想像できた。
「そうなんだ、ってさぁ。家族なんだから。もし都合つくなら、明里にも見舞いに来てほしいんだけど……」
「見舞いって、ただのぎっくり腰でしょ。死ぬわけでもあるまいし、嫌だよ」
「そうだけど、父さんぎっくり腰のせいで気落ちしてるんだうよ。医者に米作りみたいな重労働は止められててさ。まあ、今は稲刈りしたばっかでそんなやることもないんだろうけど」
「別に、辞めたらいいじゃない。趣味でやってるだけなんだから」
明里の口調には思わず力がこもった。
「今の父さんにとっては、生きがいなんだよ。金と手間がかかるけど、生き生きしてやってるし」
ばかみたい、と思ったが言わなかった。
父が米作りを始めたと聞いたとき、そんなことができるのかと驚いて調べたことがある。田んぼを借りる費用が年間12万円前後、苗や肥料にも年間で数万円程度かかり、脱穀機などの備品や機材をそろえれば20~30万円。初期費用にして50万もあれば始められるのだろうが、父は別に米を売っているわけではないから、出ていった経費が取り戻されることはない。いかにも老後の道楽といった感じだ。
「明里さ、休み取って実家に帰ってきてくれないか? 多分、明里の顔を見たら父さんも元気が出ると思うんだよ。いや、驚いてまたぎっくり腰になるかもな」
「だめじゃん」
「でもそうなったら、米作りに諦めがつくかもしれない」
康之はけらけらと笑っていたが、明里は面白いとは思わなかったし、むしろいら立っていた。
「やっぱりさ、父さんには元気で長生きしてもらいたいだろ」
そんなわけがない。母から吸い上げた命で生きながらえるくらいなら、今すぐにでも消えてほしかった。
もう、この家族は終わりだ。いや、母が死んだときに、とっくに終わっていた。だとすればこのしらじらしい家族ごっこを徹底的に壊し、終わらせてやるのは、自分の役目かもしれないと思った。
「……分かった。顔だけ出すよ」
明里が返答すると、康之は子どもみたいに声を明るくして喜んだ。ひょっとすると康之は、おめでたい頭で、わだかまりが解けたとか思っているのかもしれない。
だが、帰省はこれが最後だ。あの地元に、もう明里が帰るべき場所はない。あるいは明里を出迎えてくれる、家族なんて幻想ももうなかった。
●明里と父のわだかまりが解けることはもう無いのだろうか? 久しぶりに帰省した実家で15年前の事実を知った明里は……。 後編【「あの日、何で来なかったの?」苦労の末に亡くなった母…ダメな父親が15年間たった一人で続けた「罪滅ぼし」とは】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。