30年来会っていない父
「お義父(とう)さん、元気にしてらっしゃるかしらね」
「どうだろうな。認知症になって老人ホームには入ってるけど、あの人のことだからな。けっこうしぶとく生きて、ヘルパーさんに迷惑かけたりしてるんじゃないか?」
幸三が認知症になったと聞いたのは5年前だった。自宅介護にするか、老人ホームに預けるか、母と電話で話し合いをした。
老人ホームには入居一時金が約90万、そして毎月の利用料が15万ほどかかる。デイケアを利用するのなら、1日3000円くらい払えば良かった。自宅介護なら介護用ベッドが10万から20万くらいで買える。当然、安いのは自宅介護になるが、母が1人で面倒を見るには相当な負担とストレスがかかるのは間違いなく、経済的にも全く問題なかったため、幸三は老人ホームに預けられることになった。
和寿はぼんやりと缶ビールを眺める。思えば、幸三もよく同じ銘柄のビールを好んで飲んでいた気がする。今、おやじはどんな様子なのだろうと、気になった。
「……会いに行けば?」
実里の言葉に思わず顔を上げた。
「は……?」
「会っておいたほうがいいよ。後悔しないようにさ」
実里との結婚から数えればもう30年近く会っていない。いまさら会って、何を話せというのだろうか。
「……ここからじゃ遠いし、そんな簡単には無理だよ」
「もうすぐ、連休あるって言ってたじゃない。1泊くらいで行ってきたらいいじゃない。ほら、ちょうど敬老の日だし。ぴったり」
実里はカレンダーを指さして、いたずらっぽく笑っていた。たしかに3連休を利用すれば行くことは可能だ。このまま今生の別れになるよりも、1度しっかり会って、話をしておいたほうが良いのかもしれない。
「晴樹に感謝されてうれしかったんでしょ? まあ、あなたはお義父(とう)さんに感謝とかないかもしれないけどさ、時間がたったから話せることもあるんじゃない?
和寿はずっと不安だった。幸三のようになるのではないか、そういう思いがずっとあった。父親として果たすべき役目が分からなかったからこそ、仕事にまい進し、家庭のことは実里に任せた。しかし今日、晴樹の感謝のおかげで、その重荷を少しだけ下ろすことができた。もしかすると、父も過去のふるまいについて後悔を抱いたり、父親としての不安を抱えていたのかもしれない。会うのは気が進まないが、最後に親孝行として、不安くらい解消させてやってもいいかもしれない。
和寿は缶ビールの残りを一気に飲み干した。
「よし、じゃあ、行くか……」
「ついていってあげるね」
和寿は約30年ぶりに幸三に会いに行くことを決めた。
●約30年ぶりの父子の再会、和解する術はあるのだろうか? 後編【「もっと早く来ていれば…」変わり果てた父と後悔する息子の間に起こった「信じられない奇跡」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。