突如として緊張が走る機内

「ママ見て! お空に穴が空いてる!」

前の座席のほうから、子どもの無邪気な声が響いた。夏芽が窓の外をのぞき込むと、真っすぐに伸びた翼のはるか先に、分厚そうな白い雲がとぐろを巻き、その中心に大きな穴が空いているのが見えた。

緊張感の走る機内に、場違いに穏やかなアナウンスのお知らせ音が響く。乗客は息をのんで続く言葉に耳を傾けた。

『当機をご利用の皆さま、機長よりご案内申し上げます。ただいま大型台風による強風の影響で、那覇空港への着陸ができない状況となっております』

夏芽は思わず敦也と顔を見合わせた。どうやら航空会社のもくろみは外れたらしい。空にとどまっているのは、当初出されていた予報よりも長く沖縄上空に居座る台風の影響だった。

『お客さまの安全を最優先に考え、引き続き状況を確認しながら対応してまいります。皆さまには、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます』

機長からの説明が終わると、乗客たちからは口々に不満の声が上がり、あちこちで落胆のため息が漏れた。もちろん夏芽のため息を吐いたうちの1人だ。窓の外はこんなにも穏やかなのに、雲の下では雨風が吹き荒れているのだろう。夏芽はぎゅっと目を閉じて、早く台風が通り過ぎて、何事もなく着陸できることを祈った。しかし、いつまで待っても、飛行機は雲の上から高度を下げることはなかった。

「この様子じゃ沖縄にいつ着けるか分からないな。チェックインは大丈夫だろうけど、取りあえず、今日入れてた予定どうしようか」

敦也の声には、珍しく不安と若干のいら立ちが混ざっている。機内にも不安といら立ちがはびこっていた。やがて、機内の重苦しい空気に押しつぶされたように、後方の座席から子どもの泣き声が響いた。子どもはまるで世界の終わりのように、喉を引きちぎらんと泣き叫んだ。

「……うっせえな」

露骨な舌打ちを鳴らして、通路を挟んで隣りの席に座っていた男がつぶやく。子どもをなだめている母親は男やその周囲にまで頭を下げる。夏芽は目を閉じて、やり過ごそうと思った。頭のなかをおいしい沖縄料理のことで埋め尽くそうとした。

「――いつまでこんな状態なんだ! いい加減にしろ!」

突如として、怒声が響いた。思わず目を開けて振り返れば、反対側の窓際の席でスーツ姿の男が怒りのけんまくで席から立ち上がっていた。泣きやみかけていた子どもが再び大声で泣きわめく。

悲惨な機内の様子に、夏芽の不安は頂点に達していた。

●台風は過ぎ去ってくれるのか。夏芽たちの新婚旅行はどうなる……? 後編機内に飛び交う怒号、泣き出す子供…6時間の立ち往生の末に「新婚夫婦が出した答え」】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。