経験したことのない痛み
「――みやび、海に入らないの?」
物思いにふけっていたみやびに、香里の声が降ってくる。太陽を遮るように立った香里の姿は後光が差しているようで、神々しさがあった。
「そうだね、ちょっと気分転換に入ってみようかな」
みやびは、明るく答えて立ち上がって走りだす。砂浜は熱く、私はグリム童話のほうの白雪姫の、焼けた鉄の靴を履かされて踊り狂う王妃の末路を思い出した。
「佑ちゃん、慶ちゃん! おばちゃんも混ぜて!」
みやびはぬるい海に足を踏み入れる。空気で膨らませたボールを下から突いて遊んでいた2人は黄色い声を上げる。
「いいよー!」
「やったー! みやびちゃんが来た!」
子供はかわいいとは思う。だが母にとってのみやびがそうだったように、ただ存在するだけで人ひとりの人生すべてを奪ってしまいかねない存在を、育てられるだけの自信がないのかもしれなかった。
「ほら、ボールいったよ!」
佑都から送られてきたボールを慶介に向けて返した次の瞬間、みやびの足に経験したことのない激痛が走った。
「いたっ!」
みやびは思わず叫んだ。
何かに刺されたようなチクッとした痛みが太もものあたりに広がり、みやびはそのまま浅瀬で立ち止まった。
周囲の人たちが心配そうにみやびを見つめる中、慶介と佑都が香里を呼びに行ってくれた。
すぐに香里が駆け寄って来て、みやびに声をかけた。
「みやび、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ちょっと足をけがしたみたい」
「え、どこ?」
「ふとももらへん」
「取りあえず、海から上がってパラソルで休もう」
香里は日焼け対策のラッシュガードとハーフパンツがぬれるのも厭(いと)わず海に入ってきて、みやびを砂浜に引き上げた。ほぼ同じタイミングで、買い出しに行っていた茜が戻ってきて、両手に焼きそばやフランクフルトを持ったまま駆け寄ってきた。
「みやび、どうしたの? 大丈夫?」
「みやびちゃん、足痛い?」
心配そうな友人と子供たちに囲まれて、みやびは恥ずかしさと申し訳なさで何も言えなかった。やっぱり、海なんて来るべきじゃなかったのだ。
みやびの頭のなかが後悔で埋め尽くされたとき、患部を確認するために水着のスカートをまくり上げた香里が悲鳴を上げた。
●みやびを襲った激痛の原因は…? 後編【 クラゲに刺されアナフィラキシーで意識不明に…病室で不仲母娘の雪解けをかなえた「ずっと言えなかった言葉」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。