俺は子供は欲しくないよ
夫は子供を持つことについて否定的だった。
子供が生まれたら、そこから10数年間は子供中心の生活になってしまい、自分たちの人生を楽しむどころではない。本来であれば自分の趣味などに使えるはずのお金も教育費にまわすことになり、生活から潤いも失われてしまう。それが夫の考えだった。根本的に、子供があまり好きではないとも言っていた。
「やっぱり、子供は嫌なのかな……」
夫と違い、瑞穂は子供を持つことに決して否定的ではなかった。仕事は続けていきたいけれど、子供が欲しいという気持ちもあるというのは夫にも伝えていた。
「そうだね、俺は、子供は欲しくないよ」
夫ははっきりとそう言った。瑞穂に伝えると同時に、自分自身にも改めて言い聞かせているかのようだった。
「でも、私は産みたいんだよね」
ここで簡単に譲歩するわけにはいかなかった。意図しない妊娠ではあっても、子供を授かったことに変わりはない。もう決して若くはないし、この機会を大切にしたかった。
考えてみれば、事実婚とはいえ子供についてちゃんと話し合っておくべきだった。お互いに考えが違うのは知っていたのに、しっかりと話し合わないままここまで一緒に暮らしてきた。もしも妊娠してしまったらどうするかについて、一度も話し合ったことがなかった。
「申し訳ないけど、俺は賛成できないかな」
まるで念を押すかのように、夫は重ねてそう言った。どうやら、瑞穂の気持ちに歩み寄ってくれるわけではなさそうだ。
「あなたが反対しても、産みたい気持ちは変わらないよ。それに、夫婦なんだし、もうちょっと私に歩み寄ってくれてもいいんじゃないかな」
瑞穂はあまり波風を立てるのが好きではなく、自分の気持ちをはっきりと主張するのは珍しかった。しかし、今回ばかりはそうもいかない。
「いや、子供が欲しくないっていうのは前から言ってたよね」
「私だって、子供が欲しい気持ちがあるっていうのは前から言ってたよ」
そこから先は、ずっと平行線だった。これまで子供についての議論を避けてきたせいで曖昧になっていたが、雅彦と瑞穂の考え方にはかなり距離があった。この距離を埋めるのは不可能ではないかと思えるほどだった。
「子供を産むっていうなら、一緒には暮らすのは難しいかな」
夫はそう言うと、リビングから立ち去って自分の部屋に逃げてしまった。瑞穂はひとり、テーブルに取り残された。
このような展開になる可能性はあると思っていたが、もしかしたら夫も喜んでくれるのではないかという希望がなかったといえばうそになる。しかし、現実はそうではなかった。まだ食事も終わっていないのに、夫は部屋に逃げてしまった。
テーブルに残されたホイコーローはすっかり冷めてしまっていた。