夫の帰宅をこんなに待ちわびたことがあっただろうか。フリーのイラストレーターをしている瑞穂は、経済誌で編集者をしている夫の雅彦が帰宅する時、だいたい部屋で仕事をしている。瑞穂の仕事がひと段落すると、そこから2人で簡単な料理を作り、一緒に食べるというのがいつもの流れだった。
しかし今日はいつもとは違う。夫に伝えなければいけない大切な話があるのだった。
ドアが開き、スーツを着た夫が帰ってきた。普段はもっとラフな服装をしているが、今日は大企業の経営者にインタビューをするので珍しくスーツを着ている。スーツ姿の夫は、心なしか疲れているように見えた。
「どうしたの? 出迎えてくれるとか珍しいじゃん」
「うん。ちょっとソワソワしちゃって」
「なにかあったの?」
「うん。なにかあったんだけど、ご飯食べながら話そう」
「そうだね。俺もおなかすいちゃった」
夫は近所のスーパーで総菜を買ってきてくれていた。冷蔵庫にしまってある白米と総菜をレンジで温め、テーブルに載せる。ホイコーローのおいしそうな香りが食欲を刺激してくれる。
夕食はいつも、簡単な料理をするか総菜を食べるかだった。お互いに仕事があるし、週末以外は凝った料理をする余裕はない。でも、瑞穂はこんな夫婦生活に満足していた。婚姻届を出さない事実婚という形ではあったが、これまで特に大きなけんかをすることもなく、平穏な夫婦生活を送ってきた。
「そういえば、どんな話なの?」
ホイコーローに箸をつけながら、向こうから話を振ってきた。瑞穂は箸を置き、まっすぐに夫の顔を見て言った。
「あのね。妊娠してるって」
「え? 妊娠?」
夫はよほど驚いたのだろう。口をぽっかりと開け、ぱちぱちと何度もまばたきをしている。これが驚いた時の癖だというのを瑞穂は知っていた。
数日前から体調の変化を感じており、気になって病院を受診したのだった。『自分の気のせいだろう』と思っていたが、診察した医師からはっきりと妊娠を告げられた。
「そうか、子供か……」
まばたきが落ち着くと、夫はうつむきながら静かに言った。