治療を終えた後、待ち受けていた地獄
しかし、猫たちがいなくなった後、私を待っていたのは地獄でした。
ペットの医療費は全額自己負担です。しかも、猫白血病ウイルスのキャリアのくるみやみかんはペット保険への加入が難しかったため、2匹分でインターフェロン治療1回につき1万数千円の医療費が消えていきました。動物病院に通院する際の往復のタクシー代もバカになりません。食欲のない猫に少しでも栄養をと購入した治療食やサプリ代もまた、かなりの額に上っていました。
結果的に、くるみやみかんを譲り受けた頃には50万円ほどあった預金はたちまち底をつき、くるみが亡くなった頃には逆に200万円以上のカードローンを抱えていました。
問題は借金だけではありません。コロナ禍で勤務先のデザイン事務所の業績が悪化し同業の大手事務所に吸収されることになったのですが、その際、50%の人員削減が実施され、私はリストラ要員に挙げられてしまったのです。
無理もありません。チームリーダーとは名ばかりで、くるみやみかんの看病を優先するあまり、実質的なまとめ役は2年下のサブリーダーに丸投げし、在宅でもできるような簡単な仕事しかやっていなかったのですから。
そんな私でもプライドはあったので、肩をたたかれる前に「独立します」と言って自分から事務所を去りました。
ちょうどコロナのピークで厳しい時期でしたし、独立しても仕事のあてなどあるわけがありません。雇用保険の失業給付は受けられましたが、待機期間もあるし、給付額も勤務時の7割弱と言ったところです。家賃の安い郊外のアパートに引っ越して爪に火をともすような生活をしても、カードローンの残高は増えていきました。
自営業の両親はコロナ禍で経営が厳しく援助は望めなかったため、カードローンの残高が300万円を超えた時、市役所の法律相談で知り合った弁護士の先生に頼んで自己破産の手続きを取りました。それを機にデザインの仕事に見切りをつけ、今はホームヘルパーの資格を取って介護事業所で働いています。
アラサーの私でもスタッフの中では“若手”です。入居者に配布する資料のデザインをした時、「安永さん、すごく上手! プロみたい」と褒められましたが、さすがに「元デザイナーです」とは言えませんでした。
いまさら「たられば」の話をしても仕方ないのですが、もし私があの時、譲渡会に行かなかったら、楽観的な判断でくるみとみかんを引き取っていなければ、私は今も好きなデザインの仕事を続けていられたのかもしれません。
しかし、くるみやみかんと過ごした時間は私にとってかけがえのないもので、正直、2匹を恨む気持ちは全くないのです。「後悔がない」と言えばうそになりますが……。
※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。