夫が放った驚きの一言
二次会を終え、ほろ酔い気分で家に帰ると、太一が少年の笑顔で椅子に座っていた。手には黒光りする機械が握られている。
「あ、お帰り。ねえ、見てよ、これ」
太一が機械を見せてくる。きっと美容のなんかなんだろうなとぼやけた頭のなかで思う。
「なぁに、それ?」
「美顔器」
太一は興奮気味だった。きっと見せびらかしたくて真理が帰ってくるのを待っていたのだろう。真理は「びがんき」、と繰り返す。でも太一、美顔器ってもう持ってなかったっけ?
「すごいんだよ。海外メーカーの数量限定生産でさ、表情筋を刺激するEMSに7種類の振動を選べるモードがあって、これまでのやつとは比べものにならないくらい効率がいいんだよね。イオン導出のクレンジングで毛穴汚れもしっかり除去できるし。極めつけはさ、触れる部分が肌に優しい24金のゴールドでコーティングされてて――」
深夜の通販番組さながらに太一が説明してくれる。もちろん真理の酔った頭には、いやたぶんしらふでも、ほとんど理解はできなかった。へぇすごいね、とか、そうなんだぁ、とかタイミングを見計らって感心するような相づちを打った。
「——いやぁ、これで40万はホントいい買い物だったわ」
太一が結びに放った一言は、真理の酔いをさますのには十分すぎるものだった。
「は? え? ちょっと、ちょっと待って。今いくらって?」
「40万だけど……?」
太一は首をかしげている。真理は深く息を吸ってこめかみをもんだ。
太一と真理の月収は合わせて60万円に届かない程度。マンションの家賃が11万5000円で、水道光熱費が合計で2万円くらい。食費が7万円くらいで、二人で決めた月々の貯金が5万円……。
「それって、生活費より高いよね?」
「まあそうだけど、数量限定だし……」
真理の指摘に太一は口ごもる。
「趣味のこととかは自由にしようって言ったけどさ、これはさすがにちょっと高すぎないかな」
新しい美顔器が届いた喜びに水を差された太一は不機嫌そうに頰をかいて、それから深いため息を吐いた。真理の胸の内側がむかむかとざわつく。
「真理も使っていいよ?」
「そういう問題じゃなくて。だって美顔器もう持ってるじゃん」
「いや、今説明したし。全然性能違っただろ」
「性能とかよく分かんないけどさ、そこまでしなくたって太一は十分きれいだよ?」
真理の頭のなかは美顔器をどうやって返品するかでいっぱいだった。けれどそんな真理に向けられたのは、太一の乾いた笑みだった。
「いや、なにそれ。嫉妬? 俺が君より美意識高いからってねたまないでよ」
真理は何も言葉を返せなかった。それどころか動くことすらできなかった。少し飲みすぎたのかもしれない。うまく考えがまとまらなかった。
太一は美顔器を丁寧に箱へとしまい、真理とは目も合わせずに寝室へ引き上げていった。
●夫との金銭感覚の違いにぼうぜんとした真理。夫婦関係はどうなっていくのでしょうか? 後編「夫に500万の借金が発覚… 結婚生活の致命傷となった“身勝手な行動”の結末」にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。