パソコンの画面に表示されている文字列を眺めながら、智子は深いため息をついた。
「あそこのシェフは調理師免許を持っていないと聞いた」
「冷食チックな味は相変わらずwww」
「シェフは地元で有名なヤンキーだったので、舎弟の出所祝いで店はウハウハ」
パソコンの青い光がいつもより鈍いように感じた。智子は涙ぐんでいたのだった。どうして自分がこんなにつらい思いをしなければならないのか、理解できるはずもなかった。
正体不明の人物から、根拠なき誹謗中傷が
数ヶ月前から、SNSに智子が経営しているレストラン「ラリオネ」の悪口が投稿されるようになった。投稿しているアカウントの名前は「口の悪い駄犬」というふざけたもので、かわいらしい柴犬の写真をアイコンに使用していた。最初は「期待してたのに、あんまりおいしくなかった」程度の投稿だったので、智子は全く気にしていなかった。しかし投稿はどんどんエスカレートしていった。「味がマジで冷食」や「期限切れの食材を使ってるだろ」といった料理の質についての投稿もあれば「あそこのシェフ、目つきが陰湿」や「シェフ独自の闇ルートを使って食材を安く仕入れてるらしいよ笑」といったシェフを誹謗中傷するような投稿もあった。
「ラリオネ」のシェフは智子の夫である達也だった。接客と経営は智子が担うかわりに、料理は全て達也が担当していた。夫を中傷されたというのは、智子にとって大きなショックだった。子どものいない智子にとって、50歳になった今でも、達也は世界でいちばん大切な存在だった。達也に投稿のことを相談しようかと思ったが、やめた。達也は半年前にガンで母親を亡くし、しばらく元気がなかった。先月あたりからようやく元気を取り戻し始めたばかりだった。悲しみから立ち直ったばかりの達也に余計な心配をかけたくはなかった。
そして「口の悪い駄犬」の誹謗中傷はついに店の経営にも影響を与え始めた。週末に予約を入れてくれていたお客さんからキャンセルの電話がかかってきた。キャンセルの理由を聞くと「SNSで良くない評判を見たから」というものだった。もちろん、それは「口の悪い駄犬」の投稿だった。これには本当に参った。こんな田舎町でも飲食店同士の競争はある。数ヶ月前には、東京から「フォロロマーノ」というレストランが近くに移転してきた。そんな状況でSNSに悪評を垂れ流されるのはかなりの痛手だった。