夕食後、洗い物を終えた理子はリビングのソファに腰を下ろした。夫の悟志は隣に座りスマホに目を下ろして指をせわしなく動かしていた。

「そういえば、今日ってたばこ吸ってないよね?」

悟志は愛煙家で、1日1箱は必ずたばこを吸っていた。特に夕食後はルーティンのようにたばこを吸っていた悟志だが、今日は帰ってきてから1度もたばこに触れていなかった。

「俺、たばこやめたから」

「……え?」

さらりと言ってのけた悟志に理子は目を丸くした。

「たばこ、やめたの?」

「ああ。今日からやめるって決めて、たばこもライターも全部捨てた。灰皿も今度のゴミの日に出すつもりだから」

悟志とは結婚して3年になる。何事にも真面目で信用できる人だと思ったから結婚をしたのだが、たばこだけは唯一の気がかりだった。たばこをやめてほしいと理子からお願いしたこともあったが、それだけは勘弁してくれと逆に懇願されたことすらある。

「あんなに好きだったのに……な、なんで……?」

「正月にさ箱根駅伝見ただろ?」

「うん。そうだね」

正確に言うと理子はぼーっと眺めていただけで内容に関してはあまり覚えてない。

「あの大逆転劇に、俺めちゃくちゃ感動したんだよ。青春を全て駅伝にかけるって本当にすごいことじゃん。俺なんて仕事だけやって後はダラダラしてるだけでさ、それじゃいけないと思ったんだよ」

「たばこやめるの関係ないじゃん」

「たばこをやめるのが目的じゃないんだよ。俺もランニングを始めようと思って。一応高校球児だったから昔は走れたんだけど今じゃ全然だろ? だから昔みたいに走れるようになろうと思うんだ。たばこ吸ってたら呼吸もきついし、体力がつかないからやめるんだよ」

理子としてもたばこもやめてくれるしランニングをしてくれることもありがたい。30歳を超えたあたりからお腹周りに肉がつきだしおじさんのような体型になっていたのでこれで痩せてくれるのなら嬉しかった。

「別にランニングじゃなくてもいいんだけど1人で始められる運動って言ったらランニングが1番お手軽だろ。やっぱり人が何かに打ち込んでるのは素晴らしいって分かったんだ。マネタイズとかタイパとか、やることなすことに利益や数字を求めるみたいなことばっかりじゃん。でも、箱根駅伝を走ってる人たちはそうじゃないんだよ。ただ好きだからとか仲間のためとか、そういう理由で努力をし続けてるんだ。見てたらなんか、昔を思い出しちゃってさ。俺も走ろうかなと思ったんだ」

理由はどうあれやろうとしてくれることに、理子は大賛成だった。健康のこともあるし、今はまだ具体的な段階ではないが、将来子どもができたときにたばこはきっと余計に気になるようになる。

「そうなんだ。頑張ってね。期待してる」

「任せて」

明るく言って悟志は再びスマホに目を落とした。

ランニングという趣味自体はお金もかからない。実際にどこまで続くか分からないが温かい目で見守っていこうと理子は思った。