振り込みを待つ“地獄”
その日は月末で、前月末に振り込みがなく、初めて1カ月以上にわたって振り込みがないことになっていた。七海は、その日は遅番で夕方から美容室に出勤すればよかったのだが、午後3時になっても振り込みがないことが分かった時に、七海の気力がプツリと音を立てて切れた。その日は、結愛を保育園に連れていく気にもならず、5分間と間を置かずスマホで銀行残高のチェックをしていた。おなかをすかした結愛が何か食べたいと言ってきた時も、結愛を払いのけるようにしてスマホにかじりついていた。
七海のことを心配して美容室のスタッフが七海のアパートにやってきた時は、すでに、午後10時を過ぎていた。七海は銀行の残高を確認したスマートフォンを握りしめテーブルに座ったまま気を失っていた。その七海の膝にすがりつくようにして泣きつかれた結愛が眠っていた。
自分の膝に置かれた結愛の手の小ささに、七海はショックを受けた。保育園も年中さんになり、すっかりお姉ちゃんになったと思っていたものの、実際の結愛の手はまだ小さく、しっかり守ってやらなければならないもろい存在なのだと思い知った。泣きはらした目、呼吸をするたびに震える小さな唇を見ているうちに、七海はずっと結愛のことを見てやれていなかったことが思い起こされ涙が込み上げてきた。
養育費の支払いは契約に基づく債務
この日を境に、七海は大輝のことを弁護士に任せることにした。大輝から振り込まれる養育費のことを思い悩むことで、多くの時間を費やしていたことがばからしく思えた。そのために、結愛と一緒に公園に行ったり、結愛が好きなお菓子を一緒に作るようなこともしなくなっていた。結愛との一緒の時間を、楽しみの時間にすることがなくなってしまっていたのだ。結愛がぐずっていたのは、七海が生活の余裕を失ってしまっていることを結愛なりに悟らせてくれようとしていたのだった。
弁護士が間に立ったことで、大輝の態度は一変した。養育費の支払いが、契約に基づく債務であることを改めて自覚し、それからは、月末までの期日に遅れることなく養育費が振り込まれるようになった。七海は、改めて、離婚の際に養育費について公正証書を作っていたことに安堵(あんど)した。口約束や誓約書ではなく、公正証書にしておいたことで大輝もすぐに態度を改めることになったと弁護士から聞いた。
養育費の不安から解放されたためか、七海の体調はみるみる良くなった。半年もたたないうちにフルタイムの仕事ができるようになった。七海が不安から解放されたことで結愛の態度も落ち着き、七海と結愛との暮らしは、活気のある笑顔の絶えない日常に戻った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
文/風間 浩