相原七海(27歳)は、5歳になる娘の結愛がちょっとしたことでぐずり出すことが気に障って仕方がないと感じることが多くなっていた。少しきつい口調で結愛を叱ることが重なっているせいか、結愛がぐずり出す頻度が増えていた。以前は、天使のようだと感じたこともあった結愛の笑い声が、ヒステリックな叫び声と代わらないように感じ始めた時、七海は「このままではダメになる」という深い絶望感にさいなまれた。

元夫からたびたび滞るようになった養育費の支払い

七海のイライラの原因は、元夫である笹原大輝(27歳)が約束していた養育費の支払いをたびたび滞らせることにあった。しつこく請求すると、その翌日には振り込まれるので、これまで支払いが止まるようなことはなかったが、ほぼ毎回のように請求しないと養育費が支払われないという状態が1年近くにわたって続いていた。大輝のことをよく知っている共通の友人の話によると、どうやら大輝は真剣に結婚を考える女性ができたようだった。そして、ついに、連絡しても養育費が振り込まれないという状態が2カ月連続で続いた時、七海のイライラはピークに達した。その時、七海は……

大学を中退しての「授かり婚」

七海と大輝は、中学からの同級生だった。バレーボール部のキャプテンを務めていた大輝とマネージャーだった七海は、一緒にいる時間が長かったこともあって自然と付き合い始めた。高校に上がってもキャプテンとマネージャーという関係が続いた。2人の家が近いこともあって家族ぐるみの付き合いになった。2人が将来を誓い合ったのは高校2年の夏。親にはクラブの合宿に行くと偽って2人だけで一泊旅行に行った時だった。高校を卒業すると七海は、美容師の専門学校に通い、大輝は大学に進学した。大学に進学するとともに親元を離れて一人暮らしを始めた大輝のアパートで七海との同棲生活が始まった。

七海が妊娠に気が付いたのは、自身の専門学校の卒業式の直前だった。美容師の国家試験に向けて準備を進めているところで妊娠を知ったが、秋期(7月~9月)の試験日には安定期に入っていると考えられたため、大輝には「産みたい」と伝えた。当時、大学の2年生だった大輝も、七海と一緒に暮らしていきたいという思いが強く、大学を中退してアルバイトをしていた自動車修理工場に正社員として就職した。大輝の両親は、大輝が大学を辞めることに猛反対し、結婚も認めないと強く主張した。結局、大輝は両親と縁を切ると宣言することになった。そして、七海と生まれてくる子供のために、2LDKのアパートに引っ越し、七海との新しい生活を始めた。新生活のスタートには、高校の部活の後輩たちが家具や食器などを手分けしてプレゼントしてくれて助けられた。

結愛が生まれた頃は、2人とも無我夢中だった。七海の出産は初産だったにもかかわらず、重いツワリに悩まされることもなく、出産時間も比較的短かった。先に出産をしていた友達からは、2度と出産など経験したくないくらいつらかったという話を聞かされていたものの、いざ自分が出産してみると、生まれ落ちた結愛を抱き取った時の感動の大きさが深く心に残り、こんな経験なら何度してもいいと思った。

美容師になるための国家資格も取得できたため、産後3カ月足らずで、七海は美容室に復帰した。資格を取得したことによってアシスタントから正式な美容師となり月収も上がった。幸いなことに、七海の母が七海たちの理解者となり、結愛の面倒をよくみてくれたため、結愛の保育園が決まるまでの間も不安なく2人で働くことができた。七海は、毎日が戦場のようにあわただしく過ぎていったこの頃を、後々、大輝と暮らしていて一番幸せな時期だったと何度も振り返ることになった。