一方的に異性から言い寄られた時、あなたはどうする?

石川彩花(27歳)が、内容証明郵便を受け取った時に最初に考えたのは、「内容証明って何?」という漠然とした疑問だった。受け取ってみて、その差出人が行政書士であること、そして、受け取った書面には、神崎樹(33歳)との婚約破棄の件で2週間以内に行政書士との面談を求めること、この面談に応じなければ簡易裁判所に調停を申し立てる準備があることなどが書いてあった。彩花は神崎と婚約した覚えはなかったが、調停や裁判という言葉から、大きな圧力を感じた。ちょうど、仲が良い佐々木楓(28歳)が離婚訴訟で担当してもらった弁護士が有能だったという話を聞いていたので、楓を通じて弁護士を紹介してもらうことにした。

彩花は、中堅化学メーカーの総務部に勤務し、楓ら数人の友達と年に何回かの旅行に行くことくらいが楽しみな普通の会社員だ。会社は東証プライム市場に上場しているとはいえ、特別目立った技術があるという企業ではなく、安定的な業績を堅実にあげ続けている企業だった。彩花が、その企業に就職を決めたのも、事業が安定していて過度な残業など厳しい業務を命じられるような心配がないことが大きな理由だった。

彩花の望みをあえていうならば、「ほどほどに勤めて、程よい年齢で結婚退社したい」というものだった。ただ、彩花は見た目が華やかで、中学の頃からよく男子生徒に交際を申し込まれた。大学の時には、学内のミスコンに出場すれば、絶対に入賞するとサークルの男子にしつこく言われたこともあった。彩花は、そんな男性からのアプローチを、ずっと迷惑に感じてきた。自分は、特段チヤホヤされたいわけではなく、むしろ、男性と交際するよりも女友達と話している方がずっと楽しいと感じていたのだ。

もっとも、彩花は男性とまるっきりかかわりなく過ごしてきたわけではない。幼なじみの田中優斗(27歳)とは、中学までは同じ学校に通い、高校、大学では学校が違ってもお互いの誕生日を祝い、初詣にも一緒に行っていた。親には内緒にしているが、高校3年生の夏休みに、二人は初めて男と女の関係になった。二人の関係は社会人になっても続いていたが、彩花が優斗に会うのは、せいぜい1カ月に1回くらいで、最も仲の良い楓ですら、彩花から優斗を紹介されるまで彩花に付き合っている男性がいることを知らなかった。彩花が「結婚退職」を考える時には、結婚の相手として明確に意識するのは優斗のことだった。

神崎は、彩花の会社の取引先の営業担当だった。神崎が商用で来社した折に、たまたま神崎を取り次いだのが彩花で、神崎はその出会いで、文字通り彩花に一目ぼれしてしまう。実は、出会った当時、神崎には結婚を前提に交際している女性がいたのだが、彩花のことが気になって仕方がなくなり、特段の要件がなくても、彩花に会いたい一心で彩花の会社を訪問するようなこともあった。そんな訪問の折に、彩花の上司である総務課長の山本健太(41歳)から神崎は、彩花が特に交際しているような相手はいないようだという情報を得ている。それを聞いたことで、神崎の彩花に対するアプローチは、周囲にもわかるくらいに積極的になった。