突然のプロポーズ

その日は彩花の誕生日だった。前日に優斗から連絡を受け、久しぶりに優斗と会う約束ができたため、少しおしゃれをして出勤し、定時で退社できるように仕事もいつもより急いで切り上げるようにした。神崎は、瑠美を通じて彩花が退社した時間を聞き、彩花が会社を出る時間帯を待ち構えていた。そして、まるで自分のために着飾ってくれたかのような彩花を目の前にして、神崎は自分のプロポーズが半ば受け入れられたと思った。神崎は喜んで、人目も気にすることなく往来でひざまずいて、彩花に婚約指輪を受け取ってくれるように差し出した。

彩花は即座に拒否した。むしろ、優斗とのデートに割って入ろうとする神崎に怒りを覚えた。その感情のままに、「受け取れません」と強い口調で告げ、その場を足早に立ち去った。残された神崎は、周囲から漏れ聞こえる苦笑に耐えられず、顔を上げることもできずにうつむいたまま、その場を去るしかなかった。その時に浴びた嘲笑が、神崎を深く傷つけ、その苦い思いが、彩花への怒りに転嫁した。彩花に対して精神的苦痛を理由に損害賠償を求めようと動き出すことに時間はかからなかった。

このケースでは、彩花の上司や同僚から、彩花が神崎との交際を一貫して断り続けていたことの証言はすぐにとれた。むしろ、彩花と神崎の仲を取り持とうと半ば強引に彩花を昼食に連れだしていた瑠美の行為は、パワハラにあたる可能性があるとして社内のコンプライアンス委員会から叱責(しっせき)を受けた。そのような瑠美の行為を見て見ぬふりをしていた山本も管理者責任を問われた。

神崎が一方的に熱を上げていただけで、彩花が何かそそのかして神崎をその気にさせたのではないことは、神崎自身も認めるところだった。一時の感情の爆発で訴訟を起こすと振り上げたこぶしも、神崎が冷静になってみると大人げない行為だったと反省することになった。6カ月間の出向期間を終えて、神崎は元の会社に戻り、その後、彩花と関わり合いになることはなくなった。

その後、彩花は優斗と結婚し、妊娠を機に退社した。優斗の作家としての成功は大きなものではなかったが、会社員務めを続けることと変わらないくらいの収入は得ることができるようになったため、優斗からプロポーズして結婚に踏み切った。彩花は、優斗が作家として大成功しなかったことが、かえって良かったと思っている。自分が常にそばにいて優斗を支えてあげられることがうれしかった。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

文/風間 浩