距離を置くことを決めた早苗
大地は黙ったまま缶をテーブルに置いた。早苗は視線を落とした。
まただ、また責める言い方をしてしまった。
大地に腹が立って仕方ないのに、苛立ちをぶつけたあとにはいつも、なぜか自分だけが悪者になったような苦しさが残った。
「……ごめん。なんか、もう自分でもどうしたらいいかわかんない」
視線を避けたまま、小さくつぶやく。
もっと言葉を選べばよかった。もっと穏やかに言えたはずなのに、怒りの形をした寂しさが、また口を突いて出てしまった。
早苗はゆっくり立ち上がり、棚からキャリーバッグを引き寄せた。深く考えず、手あたりしだいに荷物を詰め込んでいく。
「私、ちょっと……実家、行くね」
「え、今から?」
大地が声を上げたが、早苗は返事をしなかった。
電車で20分、駅から歩いて5分の距離。
気軽に帰れる実家が近くにあることに、今夜ばかりは救われた気がした。
上着を羽織り、ドアを開けると、冷たい風が頬をなでていった。階段を降りながら、自分が何にこんなに苛立っているのか、何に傷ついているのか、頭ではまだ整理しきれていなかった。ただ、世界中で自分だけが変わってしまったような、この温度差に、耐えきれなかった。
●妊娠によって大好きだった夫・大地との晩酌ができなくなった早苗。変わらず飲酒を続ける大地にキレて「実家に帰る」と告げて家を飛び出してしまった…… 後編【やっと気づいた怒りと孤独の正体…妊婦が夫に伝えられなかった「置いていかれる寂しさ」】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
