介護の限界を感じる麻里

「……ひよりのことを分からなくなっていたのか」

仕事から帰ってきた久司に相談すると、思いのほかショックが大きかったらしく、表情により色濃い疲労と落胆が滲んだように見えた。

「お義母さんにとってひよりはお義父さんとの大切な思い出だし、唯一懐いてる犬でもある。でもそれを忘れてしまってたってのが衝撃でさ」

登美子は何も悪くない。こんな風に記憶を消してしまう症状に対して麻里は怒りとやるせなさを覚えた。

「……これ以上進行するようなら正直、私の手には負えないなって思う。今日も、勝手に外出ちゃって、ひよりが吠えてくれなかったらどうなってたか」

けれど麻里は久司に正直な気持ちを話した。麻里はパートもしながら登美子の介護もしている。ここ最近は負担も大きくなっているので心身ともに限界が近いと思っていた。

「そうなると老人ホームってことになるよなぁ……」

久司は難しい表情をしていた。

久司は製造業のライン業務をしていて、給料が高いわけではない。麻里のパートのわずかなお金を合わせてなんとか3人で生活ができているという状況だった。おまけに、ここ最近はいろいろなものが値上がりをしていて、家計を圧迫している。登美子を施設に入れる経済的な余裕はなかった。

「……私もいろいろとやりくりをして貯金が作れるようにするよ」

「……そうだな。俺も夜勤に多く入れないか上とかけあってみる」

久司は疲れた顔でそう話し、麻里は申し訳なさを感じながら頷いた。

異変を知らせる老犬

日に日に認知症の状況が悪くなっていく登美子の世話をなんとか続けながら麻里たちは生活をしていたが、ある日麻里がいつものようにパートを終えて家に帰るとひよりが大きな声で吠えていた。

ひよりは穏やかな性格で基本的に吠えるなんてことはしない。だからこそ登美子でも可愛がっていたのだ。

麻里はそんなひよりが吠えていることに戸惑いを覚える。

「こら、どうしてそんなに吠えてるの? 何があったの?」

ひよりはずっと吠え続けている。麻里は家の中で登美子がまた怯えているかもしれないと思い、吠えているひよりを置いて家のなかに入った。

「お義母さん、ただいま」

しかし、声をかけてはみたものの、登美子の返事はなかった。寝ているのかと思い登美子の部屋に向かうが、ベッドには誰の姿もない。不穏な予感がして部屋中を捜索した。しかしどこにも登美子の姿はなかった。

徘徊による行方不明――。

認知症の症状やトラブルについて調べていたときによく見た単語が頭をよぎり、麻里の鼓動が大きくはねた。

●認知症の義母・登美子の介護に麻里は限界を感じていたところ、登美子が行方不明に。一体どこへいったのか…… 後編【「おばあちゃんがどこにいるか分かるの?」忘れられても、怯えられても…認知症の飼い主を必死に探した老犬の"揺るがぬ愛情"】にて、詳細をお伝えします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。