二人で歩む穏やかな日常

秀美の胸の奥にはまだ薄く澱のようなものが残っていた。罪悪感と、安心と、よくわからない疲れのようなものが入り混じり、家事を行う手もどこかぎこちなかった。

そんな中迎えた日曜日の朝。食後、食器を下げようとした秀美に、拓哉がふと言った。

「今日は……散歩でもするか」

思わず手が止まった。

「え?」

「天気もいいし。ほら、最近あんまり歩いてなかったろ」

不器用な誘い方だった。こんなふうに声をかけられたのは、いつ以来だったろう。記憶をたどっても出てこなかった。

「……うん。行こうか」

並んで歩く道。特別な場所ではなく、ただ家の周りをぐるりと一周するだけの散歩だった。それでも道端の草花や、遠くで聞こえる子どもたちの声、時おり吹く風までもが、どこか新鮮に感じられた。

少し歩いたあと、拓哉がぽつりとつぶやいた。

「久しぶりだな、こんなの……」

秀美は横を向いたまま、小さく頷いた。

「そうだね……懐かしい」

拓哉が笑い、秀美も、釣られて少し笑った。

その日を境に、ふたりは月に何度か、どこかに出かけることにした。といっても遠出ではない。電車で2駅先の商店街に行ってみたり、昔通っていた喫茶店に立ち寄ったり、家から少し離れたパン屋でモーニングを食べたり。ほんの些細な、しかし確かに「ふたりの時間」だった。

何より、家の中に言葉が増えた。

「今日は風が強いね」「夕飯、何食べたい?」

そんな取り留めもない会話が、まるで冬が明けたあとの雪解け水のように、静かに流れはじめていた。

ある日、テレビで競馬の番組が流れていた。ふと画面を見て、拓哉が言った。

「見ないのか?」

「……うん、もういいの」

秀美はソファに腰を下ろし、湯呑みを両手で包んだ。

「賭けなくても、こうしてれば十分だから」

「……そうか」

やがてテレビの音が消えた。部屋の中に静寂が流れたが、もう以前のように重苦しいものではなかった。

「夕方、買い物行くけど一緒に行く?」

「うん、行こうかな。散歩がてら」

リビングの窓の外では、午後の光が庭先の木々を斜めに照らしている。風に揺れるカーテンを見やると、遠くで鳥が鳴くのが聞こえた。時間は、ゆっくりと進んでいた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。