「ねぇあなた、どっちが良いと思う?」

剛典がソファで釣り雑誌をめくっていると、階段の方から声がかかった。顔を上げると、妻の幸が両手にそれぞれ色の違うワンピースをぶら下げて、1階に下りてくるのが見えた。幸は30分も前から服を選び続けていて、剛典の方は妻の準備が終わるのをひたすら待っているところだった。

どうやら、ようやく最終候補の2着にまで絞れたらしい。片方は黒色で、もう片方は暗めの赤色……たしかボルドーというやつだ。おそらくデザインも微妙に違うのだろうが、剛典には両者の違いが全く分からない。特にボルドーのほうは初めて見るような気がしたが、幸の服装など特段気にかけたことがなかったから、剛典には判断のしようもなかった。

「うーん、今右手に持ってる服の方がディナーっぽくていいんじゃないかな?」

今までの経験上、ここで適当な返事をすると良くないことが起こるのは分かり切っているから、言葉を選びながら慎重に答えた。幸は右手を持ち上げて赤ワイン色のワンピースをしげしげと眺めた。

そして、しばらく真剣な顔で考えたあと、剛典の方を見て大きくうなずいてみせた。

「そうね! 私もこっちが良いと思ってたの! すぐ着替えてくるから、ちょっと待ってて!」

幸はそう言うと、パタパタとスリッパの音を響かせながら、2階へ駆け上がっていった。

なんとか合格ラインの回答ができたらしい。剛典は、ほっと胸をなでおろしながら誰もいなくなったリビングに視線を移した。4人掛けのダイニングテーブルに、妻のこだわりが詰まった対面式キッチン、息子たちの落書きのせいで幾度となく張り替えられた壁紙――。

剛典は深く息を吐いて、ソファに身体を預ける。2人の息子が独立していなくなった家は広く感じられ、剛典の肩にかかる荷も軽かった。

「あなた、お待たせ」

1人でぼんやりしていた剛典の前に、いつもよりめかし込んだ幸が現れた。

「よく似合ってるね」

「ありがとう。悩んだけど、やっぱりこっちにしちゃった」

幸が身にまとっていたのは、先ほど左手に持っていた黒い方のワンピースだったが、剛典はにこやかに妻を褒めた。

結局のところ、剛典がどちらの服を選ぶかに関係なく、幸の中では決まった答えがあったということなのだろう。果たして、この手の妻の質問に対する最適解は存在するのだろうか。そして自分は、いつになったら正解にたどり着けるのだろう。

剛典は、そんなことを考えながら、ドレスアップした妻を助手席に乗せて車を走らせた。