秀美の本当の気持ち

拓哉は通帳を見つめたまま沈黙し、やがて低い声で言った。

「秀美、どういうこと?」

平静を装う様子がかえって堪えた。感情のままに怒鳴られる方がまだ楽だったかもしれない。

「……ごめんなさい」

声は、喉の奥でようやく絞り出された。

「競馬か? こんなに賭けてたのか?」

「うん……ほんの……気晴らしのつもりだったの」

「気晴らしって……そういうレベルじゃなくないか」

「ごめんなさい……自分でもやめどきがわからなくなって、ちゃんと言わなくちゃとは思ってたんだけど……」

拓哉は顔を上げた。秀美は、初めて夫の真正面からその視線を受け止めた。もうごまかすことはできなかった。

「最初に買ったのが当たって、それが嬉しくて……。いつの間にか、額が増えちゃって……」

言い訳にもならない説明だ。自分でもそう思った。

「寂しかったの。子どもたちが巣立って、誰とも話さない日が続くのが、怖かった。あの馬が走る音とか、実況とか、なんだか生きてるって感じがして……」

いつのまにか涙が流れ落ちる。拓哉は、黙ってそれを見ていた。

長い沈黙が流れる。時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。

秀美は「離婚」と言われても仕方がないと思った。夫婦の貯金に手をつけたのだから。しかし、拓哉が口を開いたとき、その言葉は予想していたものではなかった。

「……俺も、仕事ばっかりで、秀美に任せきりだったよな」

ぽつりと、過去をふり返るように紡がれる言葉。

「子どものことも、家のことも、何もかも。俺、ずっと“他人事”みたいな顔してた」

彼の声には怒りも苛立ちもなかった。ただ、遠くを見つめるような響きがあった。

「すぐには難しいだろうが……少しずつ埋めていこう。お互いに」

秀美は顔を上げられなかった。ただ、喉の奥から震えるような声で、ありがとう、とだけ言った。