遅延が救った命
待合室には数人の影があったが、誰も声を発しなかった。冷えた空気の中、照明だけがくっきりと床を照らし、壁際の長椅子の影を伸ばしていた。その一角に腰を下ろし、高田にも座って待つように促した。高田は少し離れた場所に座った。
晴美のスマートフォンには、今日予定されていた配達の通知が並んでいた。残った分は翌日に持ち越しにするしかないだろう。成績が下がるのは避けられなかったし、最悪契約が打ち切られる可能性もあったが、それでも後悔はなかった。
高田は前かがみにうずくまったように座っていた。組んだ手が膝に沈み、足元に落ちる影はピクリとも動かない。
「助かるだろうか……」
かすれた声が聞こえた。独り言のようでもあり、誰かに縋るようでもあった。晴美は少しだけ顔を向けて、小さく答えた。
「……祈りましょう」
その後は、2人とも黙ったままだった。
やがて奥の扉が開き、ストレッチャーが押し出されてきた。その上に、白い毛布をかけられた母親が静かに横たわっていた。呼吸はまだ浅いが、さっきよりも落ち着いているように見えた。色のなかった頬に、かすかに赤みが戻っていた。
「母さん……」
立ち上がった高田は、ストレッチャーのそばに歩み寄り、しばらくその場に立ち尽くしていた。やがて振り返り、晴美のほうを向いて、深く頭を下げた。何も言わなかったが、その姿勢には言葉以上のものがあった。
その後、病院のスタッフが入院の準備を進めていくのを見届けながら、高田がふと晴美に向かって口を開いた。
「本当は、出かける予定だったんだ」
「え?」
「今日……午後から外に出るつもりで準備してて。でも、配達が来なかったから……待ってたんだ。もしも、時間通りに荷物が来て、そのまま出てたら……」
言葉がそこで止まり、再び静けさが落ちた。晴美は何も言わなかった。
窓の外では風が吹き、街路樹の葉が揺れていた。時計の音が、変わらぬリズムで時を刻んでいた。
