<前編のあらすじ>

独居の高齢男性である健司は近所の子どもや母親に怒鳴るなど攻撃的な言動ばかりだった。荒れている健司の暮らしと、苛立ちの背景には、過去の事故のせいで脚に負った後遺症や過去の悲しい記憶があった。

そんな時に一匹の猫が現れる。いろんな葛藤がある中で、その姿に自分を重ねた健司は猫を保護することにした。

診察を受けに行った病院で猫の妊娠と捻挫が判明。そんな猫を自宅に置くことを決めた健司は、亡き妻の愛飲していたびわ茶を淹れながら、猫を静かに見守るのだった。

●【前編】「危ねぇだろうが!」近所の子どもに怒声を浴びせる迷惑おじさんが軒下で震える捨て猫を拾った理由

静かに迎える新しい命

雨が降りそうだった。

雲の輪郭が曖昧で、窓ガラスがじっとりと曇っていた。健司は、居間の隅に置いていた段ボールを両手で持ち上げ、腰をかばいながら動かした。少しでも動線を縮めるため、寝床を居間の角へ移す。猫は目を細め、動かされても抵抗せず、ゆっくりと呼吸を続けていた。

「よっこいせ」

流しに古いタオルを数枚入れ、やかんの湯を鍋に移す。

布の端が小さく浮かび、時折、鍋肌に触れて波立った。ぐらぐらと立つ湯気。換気扇の低い唸り。

夜が深くなっても、猫は何度も寝返りを打った。腹の膨らみが、波のように揺れる。小さく短い声が、毛布の隙間から漏れた。

健司は座ったまま、それを聞いていた。明かりはつけなかった。テレビもつけなかった。音を立てないよう、ただ静かにそこにいた。

小さな体がうごめき、濡れた音が混じる。

健司は、煮沸して冷ましたタオルをそっと手に取った。手のひらが湿っていく。段ボールの中に、ひとつ、ふたつ、命の気配が増えていった。

「おお、生まれた生まれた」

やかんの湯が尽きかけていた。

ふたを開け、水を足す。火をつけると、底が少しだけ鳴った。

そのときだった。

足が触れたのか、捨てた紙袋が弾かれ、床に滑り落ちていた。「びわ葉」の文字が、折り目の影から半分覗いていた。

その横で、段ボールの中から、かすかな寝息。音を立てる湯。ぽこぽこと、小さく、絶えることなく。

健司は視線を床からやかんへ移し、やがて段ボールのほうへ戻した。

「……びわ、か」

低く、誰に届かせるでもなく、そう言った。