この業界、なにより大事なのは人脈なんだよ――というのは、今の外資系コンサルに転職してきた翔太が、最初のトレーニングで世話になったマネージャーから聞かされた言葉だ。

そのマネージャーが業界の内外を問わず幅広い人脈を持っていることはほんの半年程度いっしょに働いただけでも十分に理解できた。実際、テレビ局のプロデューサーや町工場の社長など、業務上いつ使うのか分からない人脈まで抱えていた。

中途だというのに50人近くいた同期たちも優秀であればあるほど社内のゴルフコンペや異業種交流会、外部のセミナーなどに通い、着々と自分だけのつながりを築き上げていた。

もう遅れをとるわけにはいかなかった。恥をかくわけにはいかなかった。

翔太はいわゆる有名私大を卒業したものの、特に就職もせずついこの前までバイトを転々としながらフリーターをやっていた。世の中からどう見られているかはさておき、あくせく働いている友達たちに比べ、自分は自由を手にしていると悪い気はしなかった。

だが、20代も後半になると事情は少しずつ変わってくる。地道に昇給を重ね、責任ある仕事を任され、場合によっては結婚したり子どもを持ったりするようになった。翔太が自由だと思っていたものは、単なる停滞だと分かった。

翔太は焦った。周りが何かの肩書を背負いながら遠くまで歩いていくのに、翔太には何もなかったから。26歳のとき、大学の卒業式以来埃をかぶっていたスーツに少し太った身体を押し込んで、就活を始めた。