頭痛の正体
脳腫瘍だった。慢性的に感じていた鈍い頭痛が気になって、近所の町医者に行ってみると、大学病院での検査を勧められた。仰々しいなと思っていたら、検査入院の結果、脳腫瘍だと診断された。医者から聞いたときはさすがにショックが大きかったが、幸い良性の腫瘍らしく、薬物療法と経過観察で問題ないとのことだったし、実際に処方された薬を飲み始めたら頭痛は嘘のように収まっている。
だが問題がないというのは、普通の生活を送る上での話だ。料理人として生きる拓海には大きな問題があった。生命線である嗅覚が、まったく利かなくなってしまったのだ。
思えば兆候はあったのだろう。店の常連からは最近、味が少し濃くなったと言われていた。そんなわけないだろ、うちの味に文句か? と笑って答えていたが、あのときから異変は起きていたのだろう。
これまで感覚に頼り切って調理を続けてきた拓海の腕は、嗅覚1つで取り返しがつかないほどに狂い、もうかつての味を再現できなくなっていた。
引退も考えた。だが拓海に後を継げる子どもはいない。拓海が引退するということはそのまま、この店の閉店を意味している。
「おはよう。相変わらず早いのね」
声がして振り返ると、二階の住居から降りてきた麻美がいた。麻美は深く息を吸い込むと。「いいにおい」と呟いた。
「変な気遣いはよせよ。ダメなんだ。やっぱり匂いが分かんねえようじゃ、味だって分かんねえんだ」
拓海は吐き出した。思えば、24歳のときに結婚してから今まで麻美の前で弱音を吐くようなことはなかったはずだ。情けない自分に拓海はうんざりしていた。