素人扱いすんじゃねぇって
山麓駅からロープウェイに乗って一気に山頂駅へ。標高2237mの地点には、一面の銀世界が広がっている。
「うっわ、圧巻だな」
力也が溜息をつく。声にならい、光輝も山頂の方角を眺めた。
ロープウェイで登ってきてしまったので山頂までは標高差250m程度しかない。登山というにはやや物足りなさを感じなくもないが、20年ぶりなんてこんなもんだろうとも思う。
「2人とも、アイゼンちゃんとつけてな」
「分かってるよ、素人扱いすんじゃねえって」
力也は不満げに口を尖らせながらもトレッキングブーツにアイゼンを取り付けていく。光輝もそれに倣い、20年ぶりの雪山登山に向けて最後の準備を整える。
準備が整えばあとは登るだけ。光輝たちは力也を先頭に、他の登山客の流れに沿って雪の上を歩き出した。
2月下旬の平均積雪深はおよそ80cmほど。踏み込むたびに足が沈み込み、足跡がくっきりと刻まれる。振り返ってみれば、真っ白な地面に点々と続く足跡が見える。着実に進んできたという証が、光輝たちの背後には力強く伸びている。
ごろごろと大きな岩が転がっている坪庭を進んでいく。日頃運動なんてしないせいか、最初は快調だった足取りもすぐに重くなり、雪に足を取られるようになっていく。
「2人とも大丈夫?」
「ああ、ちょっと――」
「うっせえな。ニートの分際で初心者扱いすんなって」
休憩と言いかけた光輝を遮って、力也は歩く速度を早めていく。
きっと心配されるのが力也のプライドに障ったのだろう。大学のワンゲル同好会同期だった腐れ縁で何かとつるむことの多い3人だったが、働き出して20年経った今、大手SIerで管理職の力也はフリーターの悟を何かと馬鹿にするようになった。
力也の言いたいことは分かる。42歳にもなって何の社会的責任も負わず、気楽にアルバイトをして親の金で暮らしているだけの悟に苛立つ気持ちは理解できる。だが大学生のとき、光輝たちは変わらなかったはずだ。講義をサボり、単位を落とし、酒を飲んで遊びまわる。そういう大学生だったはずだ。
せめてたまに再会したときくらい、昔のようにいられたらいいのに、そうはいられなかった。時間や立場の違いは、光輝たちの関係の歯車を少しずつ狂わせていった。
3人は樹林帯の急こう配を、蛇行するように登っていく。風は強くなり、振る雪は激しさを増す。わずかに露出している頬に、雪が突き刺さる。もともと饒舌ではない悟はともかく、光輝も力也も言葉を交わすような気力さえ徐々に寒さに削がれていった。
もう振り返っても足跡はほとんど見えない。上書きされてしまった真っ白な斜面は、ひどくもの寂しかった。
「ヒュッテ(山小屋)だ! ヒュッテが見えた!」
やがて力也が声を上げたのも束の間、宿泊予約がなければ閉まっているヒュッテは光輝たちに休憩を許さなかった。
「んだよ! おい、悟! なんで予約してねえんだよっ」
力也が雪を蹴り上げて悟を怒鳴る。悟は黙っていたが、3時間なら休みなんて時間の無駄だとグループチャットで言っていたのが力也であることを、光輝は覚えていた。
つまるところ、力也は過信していたのだろう。40代の衰えた体力は、雪山を前にまるで歯が立たなかった。
「なあ、ちょっとルートから逸れると七つ池って景色の綺麗なところあるけど……」
「当てつけかよ。さっさと頂上登って帰ろうぜ。ビール飲みてえよ」
「たしかにビールいいな。あったかい鍋でも囲もうぜ」
光輝は力也の言葉に同意する。これ以上力也の機嫌を損ねて面倒ごとになるのは嫌だったし、実際、景色を楽しむような余裕はなかった。冬の雪山の頂上まで登ったという、分かりやすい成果がほしかった。
「分かった。もうひと踏ん張りだから、頑張ろう」
「ったく、山に来た途端、急に偉そうにするじゃねえか」
力也は文句を言いながら、光輝と悟は黙々と、樹林帯の急こう配を登っていった。