青色の梅の花が見たい
薄暗い実家のリビングで、佳菜子は1人、散乱する荷物を片付けていた。
父の葬儀を終えてから、この家に足を運ぶのも、これで何度目だろうか。
業者に頼めばすぐに片付くことを、あえて自分の手で進めているのには理由があった。
「青色の梅の花が見たい」
父は病床で何度もそう口にした。最初は弱った老人の戯言だと思った。でもあまりにも何度も繰り返しているうちに、それが何なのか気になった。
「青軸の梅の花のこと?」
佳菜子は父に尋ねた。だが、父はゆっくり首を振った。
「違う、違う。青色の梅の花が見たいんだ」
かすれた声で呟いたきり、それ以上の説明をしなかった。
いや、入院生活の後半は、せん妄症状が出て、ぼんやりしていることも多かったから、説明したくても出来なかったのかもしれない。
「梅が見たいなら2月までは頑張らないとね」
佳菜子は声をかけたが、父は何も答えなかった。
結局、梅の花が咲く季節を待たず、父は逝去した。「青い梅の花」が何なのか知りえないまま、いいや、最期まで何ひとつ分かりあうことができないまま、父はいなくなった。
だからだろう。
佳菜子はあの男が人生の終わりに執着したものが何なのか知りたいと思った。父のためではない。もし何か少しでも分かり合えていたならば、母を守れず、家族が壊れていくことを止められず、弟とともに押し入れで丸くなるしかなかったあのときの自分にかけてあげられる言葉を見つけられるような気がした。あるいは、本当の意味で、父と向き合うことができるはずだった。
だから佳菜子は実家を片付けながら、青い梅の手がかりを探す。
理解できなかった父を、まだ知らない父を探して。
押し入れから古い聖書を見つけて、佳菜子は少し驚いた。そういえば、父は教会が運営する児童養護施設の出身だったと、母から聞かされたことがあるような気がする。何にしても、借金やギャンブルに溺れて家族の人生を破壊した父は、清貧から最も遠い人間だったのだから笑うほかにない。
聖書に積もった埃を払い、段ボールのなかにしまい込む。捨てるのは忍びないが分厚い本は保管しておくにも困るな、などと考えながら、作業する手を動かし続ける。押し入れの途中から新しい写真が足されることのなくなったアルバムを確かめ、友人の借金に保証人を頼まれて迷っているという記述を最後に、あとは白紙になっている日記を隅々まで読み返した。
そこには佳菜子の知らない父がいた。母が愛した父がいた。
ふと、日記に書かれた文章に目が留まった。父が書き残した文字はどれも不器用なミミズが這ったようで、ところどころ読み取れない箇所も多かったが、その2つの文章だけはやけにはっきりと、読み取ることができた。
――今日、満子とあの梅を見た。相変わらず綺麗だった。
前後で読み取れる断片から類推するに、どうやらまだ佳菜子が生まれる前、父が小さいころに過ごした故郷と呼べる田舎の町へ、母と旅行に行ったときのことらしい。
この「梅」が「青色の梅の花」なのか確証はなかった。だが、それでも自然と、まるで近づいた磁石が吸いつくような自然さで、佳菜子は父の故郷へ向かおうと決めた。
●佳菜子は父の故郷で日記に書かれていた梅の木を見つける。しかし、それは雪のような白さをたたえた花を咲かせていた。月の光が梅の木を照らしたとき、佳菜子は「青い梅」の真実と、父の過去を知るのだった。後編:【「みんな兄のように慕っていました」最低だった父の過去を解き明かす、児童養護施設の“青い梅”】にて詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。