悟が午前中の仕事を終えてオフィスを後にすると、姉の真理からのメッセージが届いている。

「今、ご飯食べてお昼寝中。夕飯の支度もしてあるから今日は買い物いらないよ」

業務連絡のような簡潔な内容だ。悟は「了解」と短く返信した。

約1年前、70代の父・雄平が認知症と診断されたとき、悟はその言葉の意味をすぐには受け止められなかった。

真理からたびたび父の不調は聞いていたが、ただの物忘れだろうと軽く考えていたのだ。母はすでに他界しているため、現在は同じ市内に住む姉と交代で介護を請け負っている。しかし真理は所帯持ちで、悟は社宅暮らしなので、必然的に通い介護になる。夜はヘルパーを頼むこともあるが、悟が泊まり込んで世話をすることも多い。

この日も会社を出たその足で実家に向かうことになっていた。もう慣れたとはいえ、仕事をしながらの介護は体力的にも精神的にもきつかった。

電車を乗り継いで向かった実家の玄関のドアを開けると、朝から父を見ていた真理がバタバタと出迎えた。

「お疲れさま、ちょうど良かった。父さん、さっき起きたところなの」

声色こそ明るいが、真理の顔には隠しきれない疲れがにじんでいる。

40代で未だ独身の悟と違い、真理には夫と高校生の息子がいる。いくら子育てがひと段落したからと言って、自分の家の家事と父の介護を両立させることは簡単ではないのだろう。

「わかった。今日はそんなにひどくない?」

「まあ、普通かな。でも、いつも夕方になると荒れるから気を付けて」

真理は午後から高校の三者面談があると言って、早々に父の家を出て行った。

彼女とバトンタッチした悟が廊下を進み、居間を覗き込むと、窓際の椅子に座る父の姿があった。

「父さん、ただいま」

声をかけると父はぼんやりとこちらを見た。

「おお、悟、帰ってきたのか。何年ぶりだ?」

何年ぶりどころか、つい今朝も会ったばかりだ。悟は苦笑いしながら、心の中でため息をついた。