和解せず20年以上がたち
工場勤務の父が必死で家族を支えてきたことも、学歴にコンプレックスがある彼が子どもには自分と同じ苦労はしてほしくないと思っていることも、頭では理解していた。それでも、「親の言う通りに生きるのが正しいのか?」という反発心が、当時の悟の全てを支配していたのだ。
結局父と和解することができないまま高校を卒業し、悟は実家を出て地元の小さな企業に就職した。
同じ市内にある家には滅多に帰らなかった。連絡もほとんど取らず、年に1度の正月さえ帰省することは稀だった。
そんな生活を20年以上続けたのは、もうどうしようもなかったからだと思う。今さら謝ることなんてできるはずもなく、全て水に流したふりをして顔を合わせるのも居心地が悪い。だが胸のうちにある後悔はぬぐえなかった。
「父さん、認知症かもしれないって」
だから姉から突然かかってきた電話でそう言われたとき、悟の胸には突き刺さる痛みがあった。それが罪悪感だと気づくまでに時間はかからなかった。
姉に説得され、久しぶりに実家に戻ったとき、悟は父の変わり果てた姿を目の当たりにした。かつて厳格で背筋の伸びた男だった父が、まるで影のように小さくなっていた。
「悟も、ちょっとは父さんのこと手伝ってよ」
姉にそう言われて、断る理由はなかった。どこかで「子としての義務感」を強く感じていたからだ。いや、それ以上に「償い」という感情が根底にあったのかもしれない。
以来、悟は姉と交代で父の世話をする生活を送るようになった。
姉は介護施設に入れることも検討していたそうだが、その場合入居一時金として40万円、さらに月々20万近くの費用がかかることが判明して断念したらしい。在宅介護でも月々8万円ほどの費用がかかるが、それでも介護付き有料老人ホームのことを思えば安いものだった。
とはいえ、仕事と介護の両立は想像以上に厳しい。昼間は会社で次々と降りかかるトラブルを処理し、夜には父の世話に追われる日々。姉の都合が合わないときは、会社の介護休暇を使って昼間から父の家に向かうこともあった。睡眠時間は削られ、心身に疲労が溜まっていった。それでも悟が弱音を吐くことなく介護に勤しんだのは、やはり償いの心としか言いようがないのだろう。
実家で父と2人で過ごす時間は、静かだった。父はかんしゃくを起こすとき以外、ほとんど言葉を発さず、何かを思い出そうとするかのように窓の外を見つめている。 そんな父の姿を見ながら、悟は時折、「あのとき、もっと素直になれたら」と考えることがある。しかし、過去に戻ることはできない。