熟年離婚の条件にすべて当てはまることに気づく

2人きりの静かな夕食を終えると、百合子はさっと皿を片付け、ダイニングテーブルにノートとテキストを広げた。

百合子が資格の勉強を始めたのはここ数週間のことだが、この時間になるときっちりテーブルに向かうのが習慣になっていた。

春樹は、その様子をソファに腰掛けながらちらりと見た。なぜ妻がそんなに熱心に取り組んでいるのか気になったが、集中している妻の邪魔をするのも気が引ける。

なあ百合子、なんで急に勉強なんか始めたんだ?

喉まで出かかった言葉を飲み込んでリモコンを手に取ると、テレビの音量を少し下げた。

まさかとは思うが、昼間太田に言われた「熟年離婚」という言葉が頭から離れなかった。春樹は老眼鏡を掛け、手にしたスマホを膝の上でこっそり開き、検索窓に人さし指で「熟年離婚 兆候」と打ち込んだ。

画面に並んだ検索結果を指でスクロールしていると、それらしい記事が次々と目に飛び込んでくる。

「夫婦の会話が減少する」「子供が独立し、夫婦だけの時間が増える」「妻が自立を目指す行動を始める(資格取得や仕事探しなど)」「夫が家事や育児を妻に任せきりだった場合、不満が蓄積している可能性が高い」

記事を読み進めるうちにスマホを握る手がじっとりと汗ばむのが分かった。

春樹は思わずスマホから目を離し、画面を伏せるようにテーブルの上に置いた。まるで誰かに春樹たちの夫婦生活を言い当てられているような不気味さがあった。

リビングのソファに深くもたれかかりながら、熱心にテキストを読み進める百合子の横顔を見つめた。

いつの頃からか、夫婦の会話はめっきり減った。

先ほどの夕食にしてもそうだ。百合子が食事を作り、春樹が食べ、たまに天気やニュースの話題を交わす程度。それも、どちらかが適当な相づちで済ませることが多い。

だが1番の問題は、何と言っても家事や育児のことだろう。春樹は家族のために必死で働いてきたつもりだったが、いざ振り返ってみると、2人の息子の面倒も、家事も炊事も、百合子に任せきりだったと認めざるを得ない。

しみじみとそう思ったそのとき、百合子がふいにペンを止めて顔を上げそうになるのを察知して、春樹は慌てて視線をテレビに戻した。

テレビでは名前の分からないタレントが、カメラを指さして笑っていた。

その日の夜中、寝つきが悪く、水を飲みにキッチンへ降りてきた春樹の目に、リビングの壁掛けカレンダーが目に入った。しばらくグラスを片手にぼんやりと数字を眺めていると、唐突に思い出した。

来週は、春樹たちの結婚記念日だ。

「そうか……今年でもう40年になるのか」

最後に記念日を祝ったのは、いつだっただろうか。百合子が文句を言わないのをいいことに、プレゼントを用意するどころか感謝の言葉すらも伝えなくなっていた。こんな体たらくでは、愛想を尽かされても仕方がないと自分でも思った。

なんとなくこのまま部屋に戻るのもばつが悪く、すぐには眠れそうになかったので、春樹はソファに腰かけた。テーブルの上に置きっぱなしになっていたスマホを手に取り、どんなプレゼントを贈ればいいのかを考える。

今年はきちんと祝おうと思った。調べてみれば、40周年はルビー婚というらしい。百合子の好きな色である、赤い何かを贈るのがいいだろう。

調べているうちに、徐々に睡魔が近づいてきた。春樹はスマホを置き、寝室へ戻った。