漁師だった父の思い出
「カニ漁はロマンなんだ」と、言っていたのは父だった。
幹也たちは漁師の家に生まれた。周りにも何人か漁師の親を持つ友人はいたが、父のほうが漁師としての腕が立つのか、一目置かれることがよくあった。
それに実際、裕福でもあった。何か月かに一度、県内の都市部に出掛けては何でも好きなものを買ってもらえたし、家だって土地代が高くないにしても、広く大きな一軒家に住んでいた。
だから幼いころの幹也はカニ漁がロマンだという父の言葉を信じていたし、そんな父の日に焼けた茶色い肌や盛り上がった筋肉や大きな背中をかっこいいと思った。
「俺もでっかくなったら父ちゃんと一緒にカニ漁する!」と無邪気に言ったあのときの気持ちに、うそはなかった。
今思えばそんな父へのあこがれは、一緒に過ごす時間が極端に短かったことで美化されていたのかもしれない。父は遠洋まで漁に出ることも少なくなく、何週間も家に帰らないことも珍しくはなかった。だからその分、母は寂しい思いをしていたのだろう。
母は旦那の不在を手放しで喜べるほど、肝の据わった女ではなかった。あるいは不在に胸を痛めるほどに、父のことを愛していた。そんな母だったから、心労がたまって身体を壊したのは、ある種の必然だったのかもしれないと思う。
●幼い頃は父と同じ漁師になりたかった幹也。だがそんな幸せだった一家を“悲劇”が襲う――。そして海に出たい弟の本心とは? 後編【突然「カニ漁に出る」と言い出した弟の真意は? 両親を亡くした兄弟が「一番知りたかったこと」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。