カラン、とガラス戸の小さな鐘が鳴った。
「ありがとうございました」
笑顔で手を振ったものの、客の姿が見えなくなると、真澄は小さくため息をついた。壁の時計は、すでに閉店時間の午後5時をまわっている。
「今日は……5人か」
表の立て看板をしまいながら呟くと、カウンターの中でグラスを拭いていた夫の聡志が穏やかに返した。
「まあ、平日だし仕方ないよ」
「うん、そうだよね……」
ここは「喫茶・こもれび」。
夫婦で始めた、小さな古民家風カフェだ。季節のハーブティーと、素朴なスイーツが売り。店内には古いレコードから流れるジャズと、アンティーク調の木の家具たち。真澄が思い描いた通りの空間だった。だが、理想だけでは、店は続かない。
「今月もギリギリだわ」
帳簿に目を落としながら、また自然とため息が出た。
「まあ、去年よりは数字マシになってるし、焦らない焦らない」
「そうね……でもね、ここがこのまま“よそ者のカフェ”で終わっちゃうのかと思うと、なんだか悔しいの」
ぽつりと呟くと、聡志は手を止め、まっすぐにこちらを見た。
「悔しいって思えるのは、真澄が本気でこの店のこと考えてるからじゃん。東京で会社勤めしてた頃より、ずっといい顔してるよ」
「ほんと?」
「うん。少なくとも、あのときより、ずっと君らしい」
彼はそう言って微笑むが、真澄の心は晴れなかった。