不登校の女の子に勉強を教え……

市子が「喫茶・こもれび」を訪れるようになって、1週間が経った。

奥のカウンター席は、彼女の指定席になりつつある。身体が小さいので低学年だと勘違いしていたが、市子は現在小学4年生だという。

「市子ちゃん、分母が違う場合はどうするんだっけ?」

真新しいドリルを広げた市子の隣に座り、真澄は優しく尋ねた。眉間に皺を寄せながら一生懸命考えている姿が、微笑ましい。

「うーん……わかんない。私、分数嫌い」

「難しいよねえ、分数。そういえば、私も苦手だったなあ……」

「でも、これ、3年生のドリルなのに……」

「市子ちゃん……」

「まあまあ、とりあえず一息入れたら? お腹が減ってると、頭が働かないよ」

ランチプレートを片手に、聡志が店のキッチンから顔を出した。今日のメニューは、野菜たっぷりの焼きうどんと、冷やしトマトのサラダ。市子は食べるのがゆっくりで、ひと口ひと口、確かめるように噛んでいる。

「……美味しい」

ふいにこぼれたその言葉に、思わず手が止まった。

家庭の事情には深入りしないようにしているが、彼女の細い手足や無口な性格を見ていると、きっとたくさん我慢してきたんだろうと察してしまう。母親は夜まで働いていて、祖父はほとんど関心を持たない――聡志から聞いた噂話が、頭から離れなかった。

「市子ちゃん、学校……行きたいって思う?」

うどんの湯気が立ちのぼる昼下がり、真澄は意を決して尋ねた。市子はしばらく黙ってから、小さくうなずいた。

「行きたい。でも、わたし……授業も、勉強も、みんなに追いつけないし……恥ずかしい」

途切れ途切れに吐き出された本音に、真澄は胸が詰まった。

「じゃあさ、こもれびを練習の場所にしてみたらどう?」と、ふと思いついたことを口にしていた。

「練習の場所……?」

「そう。学校の代わりってわけじゃないけど……この場所でちょっとずつ準備するの。勉強も、お話も、誰かと関わることも。市子ちゃんにとって、安心できる場所になるように、私もがんばるから。ね?」

彼女は驚いたように真澄を見つめ、それからすっと目を伏せた。

「……ありがとう」

その一言だけで、心に灯りがともったような気がした。

この町で、真澄たちはまだ「よそ者」かもしれない。

でも、この子の居場所になることはできる。そしてそれは、真澄たちにとっても、この場所で生きる上でのヒントになるような予感がしていた。

●市子と共に過ごすなかで、真澄は同じように学校に居場所がない子どもたちが過ごせるような場所を作りたいと思うようになる。そうしてできたのが子ども食堂だった。二人が切り盛りする子ども食堂は次第に町の人々にも受け入れられていくようになり……。後編:【「ちょっと面倒だと思っていた」夫は本心を打ち明けるも…田舎町に越してきたよそ者夫婦が子ども食堂を続けて起こったこと】にて詳細をお届けする。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。